ジャスティン・ガトリンの経歴に驚愕、ドーピングから35歳で世界一に返り咲いた男の素顔とは?について書いて見ました。イギリスのロンドンで行われている世界陸上選手権大会第2日に男子100メートル決勝が日本時間の8月6日の早朝行われ、今大会で引退を表明し、単独最多の4度目の優勝に期待がかかっていた世界記録保持者、ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)を、試合前のブーイングを物ともせずアメリカのジャスティン・ガトリン選手が破り優勝、実に2005年以来12年ぶりに最速、世界一の座を奪回しました。
遂にボルトを破る!ライバルにようやく勝ったガトリン! 引退する30歳とチャンピオンに復活した35歳!
ジャスティン・ガトリンのプロフィール
生年月日: 1982年2月10日 (35歳)
生まれ: アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク ブルックリン区
身長: 185 cm
体重: 83 kg
両親: ジャネット・ガットリン、 ウィリー・ガットリン
子供: ジェイス・ガットリン
自己ベスト
100メートル/9秒74(2015年)
200メートリ/19秒57(2015年)
不屈の精神
ジャスティン・ガトリン選手は、2004年のアテネ・オリンピック、100メートルで金メダル、200メートルで銅メダル、次いで2005年の世界陸上ヘルシンキ大会では100メートル、200メートルともに金メダルを獲得し、誰もが認める世界最速と言われていたベテランの短距離選手でした。その時の彼は男子100メートル、200メートルの二冠王、当時の世界記録を塗り替えていき、まさに選手として最高に伸びる時期でもありながら、その後まさかの2回のドーピングが発覚、長期の出場停止処分を受けることとなり、絶頂だった陸上の表舞台から消えることになりました。2006年のことです。
その後は、自身の母校である高校で陸上部のコーチをしていまいした。そしてその時期、陸上の世界への復帰はほぼ絶望と考えてなのか、アメリカのプロアメリカンフットボールリーグ(NFL)の入団テストを受けにも行っています。また一時期は日本のバラエティ番組にも呼ばれて、扇風機で強烈な追い風を作って「ボルトの世界記録を更新する!」企画で、ベンジョンソン的な役割をしていました。
2005年にジャスティン・ガトリン選手が表舞台を去った後、時代は代わり陸上の表舞台にはパウエル選手、ゲイ選手、ボルト選手といった次世代のランナーが世界最速を競う時代へと突入して行きます。
30歳ピーク過ぎても衰えない肉体
2006年から2014年までだった出場停止処分は4年に短縮され2010年7月に解除され現役に復帰、表舞台に帰りますが、世界の陸上界はウサイン・ボルトの時代へと変わっていました。このときガトリン選手は28歳。ピークを過ぎた年齢と4年間のブランクは世界最速への再起は不可能だろう言われていましたが、しかしガトリン選手はそのその予想を見事に跳ね返し、この後不屈の闘士で驚異的な復活を見せて行くことになります。
・2010年8月3日、エストニアでの小規模な陸上の国際大会に100メートルに出場し現役に復帰、10秒24で優勝を果たします。
・2012年6月24日、全米オリンピックトライアルの100メートルに出場、9秒80で優勝し、男子100メートルのオリンピッアメリカ代表権を獲得。
・2012年8月5日、ロンドンオリンピック男子100メートル決勝において9秒79で銅メダルを獲得。30歳で自己新記録を更新します。
・2013年8月11日、世界陸上モスクワ大会、男子100メートル決勝は9秒85で銀メダルを獲得。実に8年ぶりに世界選手権のメダル獲得します。
・2014年5月31日、ダイヤモンドリーグ・ユージーン大会男子100メートルで9秒76(+2.7)を記録し優勝。
・2014年9月5日に行われたダイアモンドリーグにおける男子100メートル決勝は9秒77を記録し優勝。こちらも自己ベストをマークします。
・2015年5月15日に行われたカタールスーパーグランプリ男子100メートル決勝では9秒74を記録し、ここでも33歳にしてまたしても自己新記録を更新、驚異的な快進撃をみせつけ打倒ボルト向かって着実に成果を出して行きます。
まとめ
2017年8月6日いよいよその瞬間が訪れました。世界陸上男子100メートル決勝で宿敵ウサイン・ボルト選手を破り堂々の世界一に返り咲いたガトリン選手。出場停止処分から実に11年ぶりに夢をかなえたその素晴らしい不屈の精神と努力はやはり只者ではありません。素晴らしい選手であると言えます。更なる進化が期待されるガトリン選手です。