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小平奈緒の経歴と究極の滑り磨く超可愛いアスリート!彼氏や結婚の噂も気になる?

小平奈緒経歴と究極の滑り磨く超可愛いアスリート!彼氏結婚の噂も気になる?について書いてみました。平昌冬季オリンピックの出場枠を争うスピードスケートのワールドカップ(W杯)第1戦が11月10日、オランダのヘーレンフェインで開幕、大会最終日の12日、女子1000メートルに出場した日本のエース、小平奈緒選手が1分13秒99で初優勝しましたね。また小平奈緒選手は今大会の500メートルでも2勝しています。小平奈緒選手には今や日本女子スピードスケート界のエースとして2018年平昌オリンピックで金メダルの期待が寄せられる素晴らしい選手であり、そして小平奈緒選手といえばその愛くるしい笑顔。ネットでは「超かわいい」と超話題になり、姉妹までも「超かわいい」と評判になっています。今回はそんな小平奈緒選手の性格や彼氏の噂、かわいいと噂のお姉さんなどについてもまとめてみたいと思います!

 

オランダに通訳なしで単身留学、究極の滑りと精神力を磨きスピード日本女子初の金メダルに挑む!!

 

小平奈緒のプロフィール

「小平奈緒画像」の画像検索結果

生年月日:1986年5月26日生まれ

身 長 :165cm

体 重 :61kg

血液型 :A型

性 格 :内気で控えめ、優しく温厚、反面とても負けず嫌い、芯が強い、不器用だけど研究熱心、ストイックな一面もあり

出身中学:茅野市立北部中学校

出身高校:伊那西高校

出身大学:信州大学教育学部

所 属 :社会医療法人財団慈泉会、相澤病院

 

小平奈緒公式ブログ:http://www.ai-hosp.or.jp/cloverlink/blog/

 

世界トップレベル、小平奈緒の主な成績

・中学2年時 全日本ジュニア・スプリント部門 史上初の中学生王者

 

・高校時 インターハイ500m、1000mの2冠達成

 

・大学1年時 日本学生氷上競技選手権大会500m、1000mで2冠達成

 

・大学2年時 全日本スピードスケート距離別選手権大会1000m優勝

 

・大学4年時 全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝

 

・大学卒業後2009年:

全日本スピードスケート距離別選手権大会500m、1000m、1500m優勝

ISUワールドカップ・ベルリン大会500m3位、1000m2位

 

・2010年:

バンクーバーオリンピック 500m12位、1000m、1500m5位

女子団体パシュート銀メダル

 

・2014年:

ソチオリンピック 500m5位、1000m13位

ISUワールドカップ・ソウル大会500m優勝

 

・2015年:

世界距離別選手権 500m3位

2014~2015年、シーズンワールドカップ 500m総合優勝

 

・2017年:
世界距離別選手権 500m優勝、1000m2位

世界スプリント選手権 500m(36.75秒)日本記録

1000m(1分12秒51)日本記録
スピードスケートワールドカップ(ヘーレンフェイン”オランダ”)500m・1000mダブル優勝

 

 

姉も超可愛いと評判の小平奈緒

小平奈緒選手には、5歳年上のお姉さん(小平 知佳さん)と、4歳年上のお姉さん(小平 真衣さん)がいますが、姉二人は小学生までスケートをやっていました。お姉さん2人は既に結婚して長野県外に住んでいますが、小平奈緒選手が出場する大会や合宿の会場にはよく足を運び、応援してきました。本当に中仲のいいしかも超可愛い3姉妹と近所でも評判になっていました。

小平奈緒兄弟

(右が長女の知佳さん / 左が次女・真衣さん)

 

小平奈緒に彼氏はいる?

これだけ超かわいくて一流のアスリートとして活躍し、普段の童顔の可愛さとスケートへのストイックさとのギャップが一層彼女の魅力を惹きたてメディアへの露出も増えてきた小平奈緒選手ですが、30歳を過ぎた今、彼氏や結婚の噂など気になるところですが実際はどうなのでしょうか?

各メディアやインターネット、新聞等を見ても全くそんな話が見当たらず、お母さんの光子さんも「こっちが心配になるほど、何もないんですよね~・・・・」と語っており、また以前は公に「彼氏募集」までしていた時もあったそうですから、今の所は彼氏や結婚より自らの目標であるは平昌オリンピックで金メダル獲得に向けてストイックにトレーニングに励んでいるほうが楽しいのかもしれません。

 

小平奈緒オランダへの単身留学で究極の滑りに目覚める

 平昌オリンピック開幕まで100日をきった小平奈緒選手ですが、ここにきて俄然実力が増してきたといいます。そのキッカケとなったのが2014年のソチオリンピックの後に、通訳もつけずに強行した2年間のオランダ留学でした。

 

現地オランダのプロスケートチームに小平奈緒選手単身で加わり、オリンピック金メダルを3個も保持する強豪選手だった”マリアンヌ・ティメル”・コーチの指導を受けてこれまでのフォームを大きく改良することに成功。

 

さらに、オリンピックで金メダルを獲得する超有名選手に囲まれた練習で、“金メダルを獲得する勝者の精神力”を身近に肌で体感します。そして通訳なしのスケートの本場オランダでの1人暮らしで、精神面が以前とは桁違いにタフになりました。小平奈緒選手を大学時代からこれまで指導してきた、コーチである”結城匡啓”(ゆうきまさひろ)氏も「力が抜けたというか、(自分で)コントロールできないことに力を使わなくなった」と小平奈緒選手の素晴らしい進化に驚きを見せています。

 

また小平奈緒選手自身も、「スケートが文化といわれるオランダに留学して、『本当に自分のやりたいスケートはこれなんだ!』というものが現在しっかり持てていて、「オリンピックやワールドカップも(国内)、トライアルでも、最速を目指す!ということでは大会名が変わるだけ。自分のマイペースを崩さず、ひたすら究極の滑りを磨くことに集中していきたい」と言い切っています。

 

まとめ

日本のスピードスケート選手がオリンピックで金メダルに輝いたのは1998年長野オリンピックで活躍した清水宏保選手だけです。スピードスケート女子個人では同じく長野オリンピックの岡崎朋美選手らが獲得した銅メダルのみ。地元長野県で育ち当時12歳だった小平奈緒選手は、1998年長野オリンピックで活躍した清水宏保選手と岡崎朋美選手の姿に憧れて、自分も絶対オリンピックで金メダルを獲りたい!とスピードスケートに本格的に取り組み始めました。小平奈緒選手は、「平昌は集大成ではなく、あくまで通過点!」と言い切ります。しかし小平奈緒選手にとっては2018年の平昌オリンピックが最後のオリンピックとなるかもしれません。日本の期待を背負い是非とも金メダルを獲得ほしいと思います。

進化を続ける超可愛い31歳はオリンピックで結果を残し、更なる進化を目指します。

藤田 倭の経歴とプロフィール、大谷翔平に匹敵する驚異的二刀流はどうやって始まったのか?

藤田 倭経歴プロフィール、大谷翔平に匹敵する驚異的二刀流はどうやって始まったのか?について書いてみました。日本の女子ソフトボールの代表的ピッチャーと言えば、上野由岐子投手がエースとして有名ですがここに来て、女子ソフトボール界に藤田 倭という凄いピッチャーがが現れ話題になっています。

 

急速はプロ野球で言うと体感160kmをマークする、大谷翔平投手に匹敵する威力!!

 

藤田倭のプロフィール

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画像引用元:藤田倭画像 - Google 検索

 

名前:藤田倭(ふじたやまと)

生年月日:1990年12月18日(26歳)

ニックネーム:やま、やまと

出身地:大阪府

身長:165センチ

趣味:カメラ、自転車

好きな歌手:ワンオクロック

好きな食べ物:ラーメン

 

職業:会社員(太陽誘電株式会社)

※太陽誘電株式会社は、受動電子部品を主とした日本の大手”電気機器製造会社”で本社は東京、自社工場を工場は群馬県高崎市などに持っている会社です。

ホームページ:

TAIYO YUDEN CO., LTD.

所属:太陽誘電女子ソフトボール部

ポジション:投手

投打:右投げ右打ち

最高球速:時速111km

 

藤田倭(ふじたやまと)の経歴

藤田倭(ふじたやまと)選手は、大阪府出身でその後家族で長崎県佐世保市へ移住。3つ上の兄の影響で5歳からソフトボールを始めます。そして佐世保市にある市立崎辺中学校に在学している時から藤田倭(ふじたやまと)選手はソフトボール選手としての頭角を現してきます。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は、小さい頃から体格がよく、外で遊ぶことが大好きでさらにスポーツが万能でした。ソフトバールも、始めて間もない頃から藤田倭(ふじたやまと)選手はその実力を発揮、投球に関しても中学生とは思えないようなスピードボールを投げていて、藤田倭(ふじたやまと)選手のそのあまりに素晴らしい身体能力、バランスや野球(ソフトバール)センスのよさに、高等学校ソフトボールでは全国高校総体で優勝の実力をもつ名門、佐賀女子短期大学付属佐賀女子高校から名指しでスカウトされて入学します。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は高校在学中の3年間で計5度の全国大会に出場し、エースとして活躍。1年生の時に高校総体で、2年生の時は国体でそれぞれ優勝を果たしています。

また藤田倭(ふじたやまと)選手は高校卒業後大学には進まず、群馬県高崎市を拠点とする日本女子ソフトボールリーグ1部に所属する女子ソフトボールチームで、チームの愛称は「太陽誘電ソルフィーユ」というソフトボールチームを持つ大手電気機器製造会社である、太陽誘電に入社します。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手が所属する太陽誘電女子ソフトボール部(太陽誘電ソルフィーユ)は、合計33回の優勝経験のある超強豪チームで同じ高崎市を本拠地とするビックカメラ高崎に次いで2番目に優勝が多いチームです。

藤田倭(ふじたやまと)選手は社会人として入社したその年に早速その実力を発揮、新人王を獲得するなど新人とは思えないような大活躍をします。

そして藤田倭(ふじたやまと)選手はその素晴らしい活躍が認められ、2012年(平成24年)からは日本代表に選出されるようになりました。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手、日本代表歴

2012年: カナディアンオープン・世界選手権

 

2014年 :第9回 ワールドカップ・ カナディアンオープン・ 大垣国際カップ・ 世界選手権・ 第17回アジア大会

 

2015年: 日本U24-A代表・ 第10回 ワールドカップ・カナディアンオープン・ジャパンカップ

 

2016年: 日本U24-A代表・ Down Under Series ・日米対抗・ 第11回 ワールドカップ・ 世界選手権・ ジャパンカップ

 

2017年: 日本代表強化指定選手・第6回 東アジアカップ・日米対抗・第12回 USワールドカップ・カナダカップ

 

 

監督が見出した藤田倭(ふじたやまと)の二刀流

太陽誘電ソフトボール部の山路典子監督は、藤田倭(ふじたやまと)選手のバッティング練習を初めて見たとき、この選手の驚異的パワーはいったいどこから来るのか?と驚きを隠せなかったと言います。

 

思い切りのいいスイング、遠くに球を飛ばすことができる圧倒的パワー、投手としての素質のほかに打者としても可能性を感じ、入社後すぐに”二刀流”を勧めたのです。

 

しかし藤田倭(ふじたやまと)選手は、最初はその提案を素直に受け入れていたのですが、二刀流を始めた3年目に「ピッチングに専念したい」と二刀流を拒否するようになりました。それは先発投手としてなかなか定着できず、日本リーグでのピッチングでは2年間でわずか1勝しかできていなかったからで、ピッチャーとして登板しても敗戦処理に回る悔しい日々が延々と続いていたからでした。

 

しかしそれでも太陽誘電ソフトボール部の山路典子監督は、藤田倭(ふじたやまと)選手の二刀流を辞めさせませんでした。それは、「ピッチングとバッティングは下半身の使い方など似ている部分も多い。打撃センスにたけた彼女なら、タイミングさえ合えばできるはず」と、藤田 倭(ふじたやまと)選手は自分が信頼する山路典子監督の強い思いに根負けし、2014年(平成26年)に女子ソフトバールでは誰も挑戦していない二刀流への完成にチャレンジしていきます。

 

そしてその後、ある時打席にたった、藤田 倭(ふじたやまと)選手は、

 

「自分だったら今の場面でこんな球を投げる」

 

「キャッチャーは今このサインを出しているのかな」

 

等、ピッチャーの心理を考えながら打席に立つようになり、ほかのバッターが本来考えもしない自分のメリットに気付き始めます。

 

またピッチャーとして投げている時には、打者の心理も考えれるようになり、その年にはピッチャーとして初めて最多の勝利に輝きました。

 

しかしピッチャーとバッターの両方の心理がわかる反面、バッティングの調子が悪いとマウンドまで引きずってしまい、考え込み、自身の感情を抑えることができないときには、思うようにピッチングが定まらず勝てない時もあったのですが、「2017年になってからようやく慣れるようになり自分の気持ちの切り替えがスムーズにてをきるようになりました」と藤田倭(ふじたやまと)選手はあるインタビューで答えていました。

 

まとめ

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は「他の選手のように細かい技術は持たないから」と 今でも打者としての理想像はないと言いますが、しかしそれでも少ない練習時間の中で1球1球と向き合い、日本代表として指導も受けながら、打たれたら打ち返す、自分にしかできない打撃の楽しさに目覚め始めていると言います。2020年の東京オリンピックでソフトボールは、3大会ぶりに復活が決まっています。藤田倭(ふじたやまと)選手が投打に大活躍し是非とも日本の女子ソフトボールに金メダルを獲得してくれることを期待したいと思います。