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ポスティングシステムは、なぜ始まった?その驚くべき事実について

ポスティングシステムは、なぜ始まった?その驚くべき事実について書いてみました。日本のプロ野球界は日本シリーズが終わり、日本一のチームが決まるとシーズンが終了するのですが、その頃次にくるのが毎年選手の移籍の話題が中心になります。今年の話題はやはり大谷 翔平投手のポスティングを利用しての大リーグ挑戦となっています。ポスティングシステムは、日本(NPB)のプロ野球球団からアメリカMLBの球団への移籍に関する制度になります。そもそもそのプロ野球におけるポスティングシステムとはどういうものかのかをまとめてみたいと思います。

 

過去には、田中将大投手やダルビッシュ投手もポスティングシステムを行使しメジャーリーグへ移籍している!!

 

ポスティングシステムが導入された経緯

 

日本のプロ野球界に現在のポスティングシステムが導入されたきっかけになったのは、1995年(平成7年)に、当時近鉄バファローズ(現オリックスバッファローズ)の野茂英雄(のも ひでお)投手のアメリカメジャーリーグ、「ロサンゼルス・ドジャース」への移籍がきっかけとなりました。

 

当時近鉄バファローズ(現オリックスバッファローズ)に所属していた野茂英雄(のも ひでお)投手は子供の頃からの夢であったアメリカ、メジャーリーグ(MLB)のマウンドで投手としてプレーをするという夢を持っていました。しかし、当時は現在のようにポスティングシステムというような制度はなく、しかも野茂英雄(のも ひでお)投手はFA(フリーエージェント)ではなく、プロ野球球団”近鉄バファローズ”(現オリックスバッファローズ)に所属する選手であった為に自分の意思で他の球団へ勝手に移籍するということはできませんでした。

しかし野茂英雄(のも ひでお)投手はどうしても子供の頃からの夢であるアメリカ、大リーグのマウンドでプレーするという夢を諦めることができずにいました。


そうしていたところに当時、日本の元プロ野球選手(内野手)で、アメリカのスポーツ界における交渉代理人(エージェント)であった、野茂英雄(のも ひでお)投手の代理人もしていた「団野村(だんのむら)」氏という人が、同じくアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の当時スポーツ・エージェント(交渉代理人)であった「アーン・テレム」氏という人に相談をしたところ、

 

「日本のプロ野球球団に所属する選手は自分の意思で勝手に他球団へ移籍することはできない決まりになっているが、選手が日本プロ野球(NPB)の球団からから一旦任意引退するという形をとれば、日本プロ野球機構の規約に違反することはなく、メジャーリーグ(MLB)であるアメリカの球団へ何の問題もなく移籍することができる」ということを知らされました。

 

任意引退という形をとったプロ野球選手が他のプロ野球球団と移籍に関する選手契約について話し合いをする時には、それまで所属していた球団の承諾を得なければならない決まりだったのですが、現在のように「日米間選手契約に関する協定」ポスティングシステムが成立する前は、メジャーリーグ(MLB)の球団が、移籍してくる日本人選手が所属していた球団の承諾を得ることは特に強制されていなかったのです。


野茂投手は形式的に近鉄バファローズ(現オリックスバッファローズ)を任意引退するという形をとり、その翌年ロサンゼルス・ドジャースへ移籍、選手として契約を結びます。

 

 

また1996年には、同じく当時FA(フリーエージェント)ではなかった千葉ロッテマリーンズ球団の「伊良部 秀輝(いらぶ ひでき)」投手が当時の所属球団だった、千葉ロッテマリーンズに対し、ニューヨーク・ヤンキースへの移籍を強く要望し、結果的には、サンディエゴ・パドレスへのトレードを経て、ニューヨーク・ヤンキースへの移籍を実現させました。このことは後に、「伊良部メジャーリーグ移籍騒動」として大きくニュースになりました。


1996年、当時の伊良部投手は2年連続の最優秀防御率と3年連続で二桁勝利を獲得し、日本を代表する投手として名声をあげていました。

 

これはアメリカ野球界メジャーリーグ(MLB)の各球団では是非とも獲得したい投手だった事もありこの時、メジャーリーグ(MLB)側から、各球団間で新しく獲得する優秀な選手の獲得機会を公平にするよう制度をキチンと整備して欲しいとの要求があり、このこともキッカケになり1998年に「日米間選手契約に関する協定」が調印され現行のポスティングシステムが導入されることとなったのです。

 

そして2016年からは新制度が発行され、1年ごとに協定が更新されることになっています。

 

海外FA(フリーエージェント)権とポスティングシステムとの違い

 

海外FA(フリーエージェント)権とポスティングシステムとの最大の違いは、移籍希望する日本人選手が所属する球団(NPB側)に見返り(移籍金)があるか無いか大きな違いになります。

ポスティングシステムは、日本のプロ野球球団にメジャーリーグの球団から譲渡金(日本の球団側が自由に設定します)が支払われます。

 

それに対して、海外FA(フリーエージェント)権を行使しての移籍に関しては、移籍を希望する日本人選手の所属している球団に対しては一銭のお金も支払われません。しかし、これは海外の球団へ移籍する場合で国内での移籍の場合には移籍先球団からの補償金が支払われます。

 

その為、当初は絶対にポスティングシステムでの移籍を拒否していた日本の球団も、移籍を希望する選手の海外へのFA(フリーエージェント)権の取得が近づくにつれて(大体1年~2年前)、態度を柔軟にさせてポスティングでの移籍を認めるケースも最近は少なくありません。

 

現在の日本ハムファイターズの大谷 翔平投手がそのいい例になると思います。

 

しかし読売巨人軍にかんしてはどんな理由があっても、ポスティングシステムでに移籍は認めておらず、入団当初からメジャー志向が強く、海外FA(フリーエージェント)権取得でメジャー移籍が確実と言われていた上原投手までも、ポスティングシステムでの移籍を認められることはありませんでした。読売巨人軍のその一貫性についてはさすがは巨人軍だったと周囲から言われています。

 

 

過去のポスティングシステムによる移籍ケース


「旧制度」


イチロー選手/ポスティングシステム移籍

2000年オフに、オリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへ1312万5000ドルの入札金額で移籍しました。

日本円で、約14億8700万円


松坂大輔投手/ポスティングシステム移籍

2006年オフに、西武ライオンズからボストン・レッドソックスへ5111万1111ドル11セントの入札金額で移籍しました。

日本円で約、57億9000万円


ダルビッシュ有投手/ポスティングシステム移籍

2011年オフに北海道日本ハムファイターズからテキサス・レンジャーズへ5170万3411ドルの入札金額で移籍しました。

日本円で約、57億5790万円

 

「現行制度」2000万ドルが譲渡金額上限額


田中将大投手/ポスティングシステム移籍

現行制度に移行後の移籍第1号です。

2013年シーズンに24勝0敗の驚異的記録を叩き出し、楽天イーグルスの球団創設以来初日本一に貢献し、2013年シーズンのオフにニューヨーク・ヤンキースへ2000万ドルの譲渡金で移籍しました。

日本円で約、22億6600万円(譲渡金額上限額)


前田健太投手/ポスティングシステム移籍

こちらも譲渡金額上限一杯の2000万ドルで移籍。2015年オフに広島東洋カープからロサンゼルス・ドジャースへ2000万ドルの譲渡金で移籍しました。

日本円で約、22億6600万円(譲渡金額上限額)

 

まとめ

ポスティングシステムは、ある意味選手を売っているともとれる制度と思われており、読売巨人軍はポスティングシステム制度発足当初から批判しており、実際には例外なくポスティングシステムによる選手のMLB移籍を一切認めていません。しかしそれとは逆に、有望な選手に関しては入団の交渉時にメジャー移籍を容認する球団も実際にあり日本ハムファイターズの大谷選手などはメジャー移籍前提の日本ハム入団でした。日本野球界の宝ともいえる、大谷 翔平投手は果たしてどのアメリカメジャーリーグの球団に行くのでしょうか?今後も注目が集まるところです。

井岡一翔が引退の危機?世界王者の井岡一翔がタイトルを返上するっていったい何が起こっているのか?

井岡一翔引退の危機?世界王者の井岡一翔タイトルを返上するっていったい何が起こっているのか?について書いて見ました。プロボクシング界の若きスーパースターであり、世界タイトルを3階級制覇したWBAフライ級チャンピオンの井岡一翔選手に突然の“引退危機”がささやかれているのをあなたはご存知でしょうか?また他にも、井岡一翔選手が別のジムへ移籍するかも知れないという話まで囁かれています。

 

井岡ジム、2017年11月9日”井岡一翔”が持つWBA世界フライ級チャンピオンの王座を返上 

 

井岡 一翔のプロフィール

「井岡 一翔画像」の画像検索結果

(画像引用元:井岡 一翔画像 - Google 検索)

 

本名:井岡 一翔(いおかかずと) 

生年月日:1989年3月24日(28歳)

国籍:日本

出身地:大阪府堺市

身長:165.6cm

職業:プロボクサー

所属ジム:井岡ボクシングジム

階級:フライ級

リーチ:168cm

ボクシングスタイル: 右ボクサーファイター

プロボクシング戦績

総試合数 :23

勝ち: 22

KO勝ち:13

敗け: 1

 

井岡一翔選手の戦績:

プロボクシング:22戦21勝 (13KO) 1敗

 

1 :2009年4月12日、井岡一翔プロデビュー戦 

井岡一翔VSトンタイレック・ポーウォラシン タ(タイ) 

井岡一翔選手の勝利  3R  0:26  TKO勝ち


2 :2009年7月26日 

井岡一翔VS松本博志(角海老宝石)

井岡一翔選手の勝利  2R  2:59 TKO勝ち


3 :2009年12月29日

井岡一翔VS國重隆(くにしげ たかし)(大阪帝拳)

井岡一翔選手の勝利  10R  判定3-0 で勝ち


4: 2010年4月18日

井岡一翔VSヘリ・アモル (インドネシア)

井岡一翔選手の勝利  10R  判定3-0 で勝ち 


5 :2010年7月25日

井岡一翔VSアルバート・アルコイ( フィリピン)

井岡一翔選手の勝利  9R  1:57  TKO 勝ち


6 :2010年10月10日/井岡一翔、日本ライトフライ級王座決定戦

井岡一翔VS瀬川正義(せがわまさよし)(横浜光)

井岡一翔選手の勝利  10R  1:57  TKO勝ち 


7: 2011年2月11日/井岡一翔、WBC世界ミニマム級タイトルマッチ

井岡一翔VSオーレイドン・シスサマーチャイ (タイ)

井岡一翔選手の勝利  5R  1:07  TKO勝ち 


8: 2011年8月10日/井岡一翔、WBC防衛1

井岡一翔VSフアン・エルナンデス (メキシコ)

井岡一翔選手の勝利 12R  判定3-0 で勝ち


9 :2011年12月31日/井岡一翔、WBC防衛2

井岡一翔VSヨードグン・トーチャルンチャイ (タイ)

井岡一翔選手の勝利  1R  1:38  TKO勝ち 


10 :2012年6月20日/井岡一翔、WBA・WBC世界ミニマム級王座統一戦WBA獲得・WBC防衛3

井岡一翔VS八重樫東(やえがし あきら)(大橋)

井岡一翔選手の勝利  12R  判定3-0 で勝ち


11 :2012年12月31日/井岡一翔、WBA世界ライトフライ級王座決定戦

井岡一翔VSホセ・アルフレド・ロドリゲス( メキシコ)

井岡一翔選手の勝利 6R  2:50  TKO 勝ち


12 :2013年5月8日/井岡一翔、 WBA防衛1

井岡一翔VSウィサヌ・ゴーキャットジム (タイ)

井岡一翔選手の勝利  9R  2:51  KO 勝ち


13: 2013年9月11日/井岡一翔、WBA防衛2

井岡一翔VSクワンタイ・シッモーセン (タイ)

井岡一翔選手の勝利  7R  2:17  KO勝ち 


14 :2013年12月31日/井岡一翔、WBA防衛3

井岡一翔VSフェリックス・アルバラード (ニカラグア)

井岡一翔選手の勝利  12R  判定3-0 で勝ち


15 :2014年5月7日/井岡一翔、 IBF世界フライ級タイトルマッチ

井岡一翔VSアムナット・ルエンロン (タイ)

井岡一翔選手の敗北  12R  判定1-2 で負け


16: 2014年9月16日

井岡一翔VSパブロ・カリージョ(コロンビア)

井岡一翔選手の勝利  10R  判定3-0 で勝ち

 

17 :2014年12月31日

井岡一翔VSジャン・ピエロ・ペレス( ベネズエラ)

井岡一翔選手の勝利  5R  2:09  KO 勝ち


18 :2015年4月22日/井岡一翔、WBA世界フライ級タイトルマッチ

井岡一翔VSファン・カルロス・レベコ( アルゼンチン)

井岡一翔選手の勝利  12R  判定2-0 で勝ち


19: 2015年9月27日/井岡一翔、WBA防衛1

井岡一翔VSロベルト・ドミンゴ・ソーサ (アルゼンチン)

井岡一翔選手の勝利  12R  判定3-0 で勝ち


20: 2015年12月31日/井岡一翔、WBA防衛2

井岡一翔VSファン・カルロス・レベコ (アルゼンチン)

井岡一翔選手の勝利  11R 1:57  TKO 勝ち


21: 2016年7月20日/井岡一翔、WBA防衛3

井岡一翔VS キービン・ララ (ニカラグア)

井岡一翔選手の勝利  11R  1:11  KO勝ち 


22 :2016年12月31日/井岡一翔、WBA世界フライ級王座統一戦・WBA防衛4

井岡一翔VSスタンプ・キャットニワット (タイ)

井岡一翔選手の勝利  7R  2:51  TKO勝ち


23 :2017年4月23日/井岡一翔、 WBA防衛5

井岡一翔VSノックノイ・シップラサート(タイ)

井岡一翔選手の勝利  12R  判定3-0で勝ち 

 

 

井岡一翔選手はなぜジムに顔を出さなくなった?

井岡一翔選手は5月に歌手の谷村奈南(30歳)(たにむらなな)さんと結婚してから、ジムにほとんど顔を出していないといい、また拠点も大阪から東京へと移しています。

井岡一翔選手がジムに顔を出さなくなった理由としてはいくつか囁かれていますが一番の理由は、井岡一翔選手の父親でありコーチでもある、井岡一法(いおかかずのり)氏とあることが原因で揉めてしまって仲が悪くなっていることが原因といわれています。
プロボクサーでしかも世界チャンピオンでもある井岡一翔選手がジムに顔を出さないというのは、これはもうただの親子喧嘩というものではなく、親子喧嘩の域をとうに超してそうとう対立しているようすです。

この師弟であり親子でもある関係が悪化した理由については、井岡一法(いおかかずのり)氏の金遣いの荒さなど金銭的な問題や、井岡一翔選手の妻である谷村奈南さんとの結婚に井岡一法(いおかかずのり)氏が大反対だった事なども言われています。

また井岡一法(いおかかずのり)氏は、井岡一翔選手のジムでの練習に対しても、井岡一翔選手の自由にはさせず自分の意見を強引に押し付ける事が多くあり、世界チャンピオンとしての練習やボディメンテナンスなどに対する考え方に大きなくい違いがある事も言われています。

それに関連して言えば、井岡一翔選手の叔父である、元2階級制覇チャンピオンの井岡弘樹氏も元々は井岡一法(いおかかずのり)氏の井岡ジムに所属していたのですが数年前からジムに顔を出さなくなってしまっています。実はこの井岡弘樹氏は井岡一翔選手にとって大切な指導者であり彼をここまで世界で通用する選手にまで育て上げたのは井岡弘樹氏が付きっ切りで指導し続けていたからでした。この二人、井岡一翔選手と井岡弘樹氏の両方のしかも身内の選手が離れていく背景には、会長である井岡一法さんに何かそうとうの問題があるといわれています。

 

井岡一翔選手はジムを移籍するのか?

実は井岡一翔選手には他のボクシングジムから移籍の話も舞い込んでいるともいわれています。3階級制覇の世界チャンピオンである井岡一翔選手は他のジムからすれば、チャンスがあるなら喉から手が出るほど絶対に移籍して欲しい選手です。しかしこれは簡単にいかない高いハードルがあります。ボクシング界では移籍が非常に難しい制度になっていて、選手の意向だけでは自由になれないようになっており、これは芸能プロダクションの奴隷制度とよくにていて、現在所属しているジムの了承なしに移籍ができない制度になっています。もし勝手に移籍しようとすれば高額な移籍金を出せと言われ、それが出せないとそのジムに所属したままで、さらに試合も組まれない“飼い殺し状態”にされる可能性があり、若いボクサーが世界チャンピオンを目指せる全盛期は限られるので、それが怖くてみんなジムの会長には逆らえないというのが現状のようです。
ボクシング界では世界チャンピオンのジムの移籍というのは滅多にないそうで、実際移籍ともなれば相当揉めることになることはまちがいないようです。
、井岡一翔選手が他のジムに移籍するには会長である井岡一法氏に承諾してもらう必要があるのです。

 

現在井岡一翔選手はトレーニングをしている?

井岡一翔選手と井岡会長と間には何度か話し合いがあったようでその時の様子では、週に3~4回はランニングとウェイトトレーニングをしているとの事で、体重も60kgをキープしており、現時点でボクシングを辞めることは無く、今回世界チャンピオンの王座を返上しますが、引退や階級の変更を前提としない異例の王座返上となっていて現役を続行するものと思われます。

 

まとめ

現在28歳の井岡一翔選手は、2015年4月にWBA世界フライ級王座を獲得してさらに世界3階級制覇という偉業を達成し、2017年今年5月には歌手の谷村奈南さんと結婚。世界戦通算勝利数である「14」という数字は、偉大な元チャンピオン志堅用高さんと並ぶ日本記録となっています。井岡一翔選手がその気になれば、井岡ジムとしても全面的にサポートをすると井岡一法会長も名言しており、できることなら父親であり所属ジムの会長である井岡一法氏と仲直りをして今後も現役を続行して是非とも世界の強豪と闘うファイトシーンを見せて欲しいと思うのは日本中のファンの願いであると思います。