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サルバドール・ダリ、スペインが生んだ鬼才画家の画像と経歴(前半生)

サルバドール・ダリ、スペインが生んだ鬼才画家の画像経歴について書いてみました。サルバドール・ダリはスペイン・カタルーニャ地方の芸術家で自らのことを天才だと言い切ることと数々の奇行や逸話が知られ鬼才としても有名な画家の一人です。

 

森永製菓のチュッパチャプス(飴)のロゴマークはサルバドール・ダリがデザインした!

 

サルバドール・ダリ

「サルバドール・ダリ画像」の画像検索結果

本名:サルバドール・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク

(Salvador Domenec Felip Jacint Dali i Domenech)

生年月日: 1904年5月11日

1989年1月23日死亡(85歳)
生まれ: スペイン・カタルーニャ地方、フィゲラス

配偶者: ガラ・エリュアール (1958年 ~1982年)

映画: デスティーノ、 アンダルシアの犬、 黄金時代、 Babaouo、 他

 

 

サルバドール・ダリは、公証人をしていた父親「サルバドール・ダリ・イ・クシ」と「ドーニャ・フェリパ・ドメ・ドミネク」という母親、そして「アナ・マリア」という妹の4人家族でした。本来ダリには同じ名前の兄がいましたがダリが生まれる9ヶ月前に、胃腸炎のため2歳で亡くなりました。長男の急な死に大変ショックを受けてしまっていた両親は、ダリが生まれた「この子は神様が長男の生まれ変わりとして私たちに授けてくたさっだのだ」とそう思い、兄と同じ名前をダリにつけたのです。

そしてダリは5歳になった時、兄の墓の前に連れて行かれ、両親から兄の生まれ変わりであることを告げられます。

両親から告げられたダリは、「自分はキリストのように復活したのだから、それだけ価値のある人間なのだ」とそれからはそう思うようになりました。


ダリは並外れて早熟で知的な子供で、普段は真面目で礼儀正しく温厚な性格でしたが、しかし反面、情緒不安定なところもあり、さらに言うと、とても短気でサディスティックな一面があり、友人を意味もなく橋から突き落として重傷を負わせるなど数々変わった行動をとることもしばしばありました。

ダリ曰く「兄である最初のサルバドールは完璧すぎて生きていけなかった。私は彼から善なる部分を捨てて生まれてきたのだ」と言っています。

温厚で生真面目な性格だった父親はダリのこの部分が大変いやだったらしく二人の間の親子仲は父親が死ぬまでよくなる事はありませんでした。さらに、妹とは彼女が出版したダリの暴露本(自伝)で後半生は妹ともなにかと揉めています。

一方母親の方はダリを心から愛してくれ優しく接してくれていましたが、ダリが16歳の時、母親は乳がんで亡くなります。大好きだった母親の死はダリにとって大変ショックで大きな出来事だったのに、ダリがショックを受けていることなど全く気にせず父親はすぐに母親の妹(ダリの叔母)と再婚してしまいます。

その後のダリの寄行の原因の一つがこの事も関係していると言われています。

 

小さい頃から絵が好きで、絵画にとても興味を持っていたダリは、その才能の高さを両親も認めておりその後押しをします。

すでに6歳の時に油彩画を描き、プロの画家であるラモン・ピショット(Ramon Pichot)からもその才能を認められていました。

 

1916年、12歳でデッサン学校に通いジュリアン・ニュヌスに師事、1922年、18歳でマドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、詩人のフェデリコ・ガルシア・ロルカや 映画監督のルイス・ブニュエルと知り合い画家としての才能を開花していきます。

 

 

サルバドール・ダリ劇場美術館の紹介ビデオ

https://www.youtube.com/watch?v=Ob-9u2bDf28

 

サルバドール・ダリ作品j集

http://www.salvador-dali.org/cataleg_raonat/index.php?lang=fr&lang=en

 

民事再生のタカタ、エアバッグで超優良企業だったタカタの歴史となぜここまで転落したのか?

民事再生タカタエアバッグで超優良企業だったタカタの歴史となぜここまで転落したのか?について書いてみました。エアバッグリコール(無料の回収・修理)問題で経営難に陥っている日本の自動車安全部品の開発・製造・販売を行っているタカタは、6月26日、東京地裁に民事再生法の適用を申請する最終調整に入りました。日本の自動車部品リコールとしては過去最大規模となるタカタリコール。補償を含めた負債総額は小さな国家予算なみとなる1.7兆円になると見られています。

 

自動車安全部品で世界的シェアを独占し日本が世界に誇る超優良企業とされていた「タカタ」!

 

タカタ企業情報  

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社名:タカタ株式会社

創業:1933年(8年)

種類: 株式会社

法人番号: 5010401052766

市場情報 :東証1部 ・(株式番号7312)

株式上場:2006年11月17日

<本社所在地> 

〒140-0002
東京都品川区東品川2丁目3番14号東京フロントテラス(2016年12月12日より)
業種 輸送用機器

代表者 :代表取締役会長兼社長兼CEO 高田重久

事業内容 :自動車用安全部品の製造

資本金 :418億62百万円

発行済株式総数 :83,161,700株
売上高 連結:7,180億03百万円
単体:1,271億82百万円
純資産 連結:1,245億86百万円
単体:1,042億07百万円
総資産 連結:4,430億36百万円
単体:2,432億49百万円
従業員数 連結:50,530人
単体:982人
主要株主 :TKJ株式会社 52.1%/高田 重久 :2.9%

主要子会社 タカタ九州株式会社 100%

ホームページ

http://www.takata.com/


※特記事項:各種経営指標は2016年3月期のもの

※出典:Wikipediaより

 

タカタの歴史

第二次世界大戦の始まる以前1933年(昭和8年)現在のタカタの社長である高田重久(たかだしげひさ)氏の祖父である高田武三(たかだたけぞう)氏が、滋賀県、彦根市で、織物の技術を活かして、航海中の船舶で、動揺が激しいときの歩行を助けたり、大波にさらわれるのを防いだりするために、甲板上に縦横に張り渡すロープやまた、救命艇の外周や潜水夫の身体に結びつけるロープを織物の技術を活かして創る織物製造を開始したことから始まります。

 

そして1956年(昭和31年) 自動車のシートベルトや農地に外部から人工的に水を供給する為の農工業用灌漑(かんがい)ホース等の製造および販売を目的として、法人化し、株式会社高田工場を設立します。

 

1960年(昭和35年)12月 - 日本初の二点式シートベルトの製造・販売を開始


1969年(昭和44年)11月 東京本店をに移転。


1983年(昭和58年)12月 会社名を「 タカタ株式会社」に変更


1987(昭和62年)年12月 自動車用エアバッグの製造・販売を開始


1988年(昭和63年)11月 本社を東京都港区六本木にある第25森ビルに移転


2006年(平成18年)11月 東京証券取引所に株式上場を果たす

 

2008年(平成20年)頃よりエアーバッグの重要部品である、膨張ガスを発生させるインフレーター関連の不具合が相次いで起こっていることが判明する

 

2009年(平成21年)7月 本社を東京都港区赤坂にある”TAKATAビル”に移転


2014年(平成26年)2月 本社を東京港区六本木にある”アークヒルズサウスタワー”に移転


2016年12月 - 本社を東京都品川区東品川にある”東京フロントテラス”に移転

 

リコールに至った経緯

・タカタが製造販売したエアバッグで2000年〜2008年の間のものに、破裂につながる重大な不具合があった。

 

・しかしタカタは不具合があることを知っていながら改善策をとる事をせず事実を隠蔽、数年間に渡り、製造・販売を続けていた。

 

・アメリカで2014年にタカタ製のエアバッグで重大な事故が発生している事をニューヨークタイムズなどアメリカのメディアに大きく報じられ、大規模なリコールへ発展。

 

・最終的に負債額は1.7兆円規模に膨らみ会社倒産(民事再生)となる

 

リコールまでの経緯

2000年(平成12年)頃から製造されているエアバッグに不具合のあるものがあったまま出荷されていくのですが問題となった、不具合のあったとされるエアバッグは、日本ではなく2000年(平成12年)〜2008年(平成20年)頃アメリカの工場で作られたエアーバッグでホンダやトヨタなど含め国内外の10社の車でつかわれていました。

 

エアバッグの破裂を隠蔽?
 

アメリカのアラバマ州でエアバッグが破裂する事故の後、アメリカ本社で、エアバッグの試験を行なったところ、ガスを膨らます「インフレーター」と呼ばれる部分にひびが入り、破裂につながる兆候が見つかりますが、タカタの幹部はこのデータを消去させ、部品をゴミとして処分させていたとニューヨーク・タイムズ誌が伝えます。タカタはこの後の公聴会では、隠蔽の事実はないと報道を否定します。

その2ヵ月後ニューヨーク・タイムズ誌にリコールの原因であったエアバッグの欠陥をタカタとホンダとが長く認識していた、と報道されアメリカで大きな騒動になっていきます。

 

 

集団訴訟へ 発展 

アメリカ国内の消費者らが2015年2月、重要な情報を消費者に隠していたなどとして、タカタ、トヨタ、ホンダなど12社を相手取り、フロリダ州の連邦地裁に対し、損害賠償を求める集団訴訟を起こした。また、この時エアバッグの事故で右目を失明したステファニー・エルドマンさんが公聴会で証言をします。

 

 

まとめ

事故に会ったとき助かった!と思いエアバッグが開いたと思えば、そのエアバッグでけがを負うという、今回のタカタのリコール。

これでは車に乗るとき余計に不安になってしまいます。民事再生によってどのような方向に進むのでしょうか?今後のタカタの方針を見ていきたいと思います。