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石岡瑛子とは?世界を魅了し時代を超えた革命的デザイナーの画像とプロフィール

石岡瑛子とは?世界を魅了し時代を超え革命的デザイナー石岡瑛子の画像とプロフィール、エピソード等について書いてみました。石岡瑛子さんは、1970年代日本の企業広告の第一人者ともいえ、その後拠点を海外に移してからもアカデミー賞やグラミー賞を受賞、ロードウェイ公演のミュージカル「スパイダーマン」の衣装を手がけるなど国際的にも非常に高い評価を得たコスチュームデザイナー兼アート・ディレクターです。

 

誰にもまねできない!革命的!時代を超えるデザイン!高い理想を掲げ挑戦し続ける、1ミリにまでこだわったプロ魂!

 

石岡瑛子のプロフィール

「石岡瑛子画像」の画像検索結果

名前:石岡瑛子(いしおか えいこ)

生年月日:1938年7月12日

2012年1月21日没(73歳)

出身地: 東京都

職業:コスチュームデザイナー兼アート・ディレクター

配偶者: ニコ・ソウルタナキス (2011年 ~ 2012年)

 

主な作品

・ブロードウェイミュージカル「スパイダーマン」(2012年)/衣装

・白雪姫と鏡の女王 (2012年) /衣装デザイン  

・インモータルズ 神々の戦い-(2011年) /衣装デザイン  

・落下の王国 (2006年) /衣装デザイン  

・ザ・セル (2000年) /衣裳デザイナー  

・ドラキュラ (1992年)/ 衣裳デザイナー  

・クローゼット・ランド (1991年) /衣裳デザイナー  

・MISHIMA (1985年)<未> /プロダクションデザイン  

・午前中の時間割り (1972年) /美術

 

経歴

広告・デザインにおける写真表現の開拓に1960年代から意欲的に取り組んでいた石岡 瑛子(いしおかえいこ)さんは、東京芸術大学美術学部を卒業後、ファッションビル「PARCO 」 を展開する日本の企業である株式会社パルコをはじめ、角川書店、資生堂など有名大手企業の広告を手がけるなど、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクターとしてはトップクラスの人として活躍していました。

そして、ファッションビル「PARCO 」 (株式会社パルコ)の”春キャンペーン”「宿愚連若衆艶姿(ヤサグレテアデスガタ)」や吉祥寺パルコオープン、、写真家レニー・リーフェンシュタールの「NUBA展」トータルディレクション、など手がけ一躍日本で有数のグラフィックデザイナーとして有名になります。

 

 

 

拠点を海外へ

しかし40代前半プロフェッショナルとして最高の仕事をこなすノリにノッていたこの頃、国内全ての大仕事を終えた直後の、1980年12月、これまでのほぼすべての仕事・活動を突然ストップし、2年間大学に留学するために単身ニューヨークへ向かいました。

その決断に、首をかしげる人も多かったといいますが、このステップがのちの彼女にとって大きな飛躍につながることになります。

活動の拠点をニューヨークに移した後は仕事の幅を広げ、映画界や音楽界においても第一線で活躍します。

1985年にアメリカで公開されたPaul Schrader(ポール・シュレイダー)監督の「MISHIMA: A Life in Four Chapters」では美術監督を担当しカンヌ映画祭芸術効果賞を受賞。

Miles Davis(マイルス・ディヴィス)の晩年の傑作として知られるアルバム「TUTU」のアルバムパッケージデザインを手がけ、グラミー賞最優秀アルバムパッケージデザイン賞を獲得。

1992年、Francis Ford Coppola(フランシス・フォード・コッポラ)監督作「Bram Stoker's Dracula(ドラキュラ)」でアカデミー最優秀デザイン賞を受賞。

ブロードウェイ演劇「M.Butterfly」では、トニー賞最優秀舞台デザイン、最優秀衣装デザイン賞を獲得。

2008年には北京オリンピックの開会式でのコスチュームデザインを担当します。

日本国内では2005年に、「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者」に授与される紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受賞しています。

晩年も海外を拠点とした活動を続け、自身がコスチュームデザインを手がけたブロードウェイ・ミュージカル「スパイダーマン」や、ジュリア・ロバーツ)出演の実写版白雪姫「Mirror Mirror(ミラー ミラー)」でも衣装を手がけてアメリカでトップクラスのコスチュームデザイナー兼アート・ディレクターとして有名でした。

 

2012年1月21日惜しまれつつ亡くなった、石岡瑛子 死去のニュースはニューヨークタイムス誌をはじめワシントンポストなど国外メディアの一面トップ記事で報じられ多くの彼女ファンが悲しみにくれたとしとています。

 

 

時代を超えろ!革命を起こせ!

 
誰にもまねできない(original)革命的(revolutionary)時代を超える(timeless)

ニューヨークを拠点に、世界中の観客を魅了するデザインを生み出し続ける石岡瑛子。常に3つの言葉をマントラのように唱えながら仕事に向かう。誰にもまねできない、革命的、そして時代を超えるデザイン。数々の栄誉を手にしてきた石岡だが、それでも決して守りに入らず、高い理想を掲げて挑戦し続けている。


1ミリが、世界を変える

ハリウッド映画やブロードウェイミュージカルで、数多くのコスチュームを生み出してきた石岡。そのデザインは、徹底的に細部までこだわって磨き上げられている。わずか1ミリの違いが、全体の印象を決定的に変えると信じているからだ。「きちんとした仕事は、全体の仕事を緊張に導くし、だいたいパフォーマー(演技者)自体が違いますよね。良いものをあてがうことによって、百倍くらい演技に対する関わり方が違うと思うんですね」。

すべてのデザインには“意味”がある

石岡のデザインは、ただ美しいだけではない。デザインが登場するシーンの意味、デザインを身にまとうキャラクターの人格。石岡は、それらを緻密(ちみつ)に計算してデザインに盛り込む。強いメッセージ性を持っているがゆえに、石岡のデザインは強烈なインパクトで観客を一瞬のうちにとりこにするのだ。

 引用:

http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0130/

宮里藍の現在と画像、突然の引退報道の裏にある衝撃の事実とは?

宮里藍現在画像、突然の引退報道の裏にある衝撃の事実とは?について書いてみました。宮里藍さんと言えば史上初の現役女子高生ゴルファーとしてその強さと活躍は伝説となり、今現在でも宮里藍さんの意志を受け継ぐ女性プロゴルファーは多数出てきており、間違いなく日本の女子プロゴルフを牽引してきた名女子プロゴルファーでといえる人です。

 

女子プロゴルファー ”宮里藍”が今季限りでの現役引退を発表!!

 

宮里藍のプロフィール

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名前:宮里藍(みやざと あい)

生年月日:1985年6月19日(31歳)

出身地:沖縄県国頭郡東村

身長:155センチ

体重:52キロ

血液型:B型

愛称:藍ちゃん

所属:サントリー

 

経歴等これまでの歩み

 

お父さん

宮里藍さんのお父さんである宮里優(みやざと ゆう)さんは、元々プロゴルファーだった訳でなく普通の公務員として勤務していたのですが、出身地である沖縄県国頭郡東村村で行われる村の選挙に立候補するために公務員を退職します。しかし実際選挙での投票結果は見事に落選してしまい、地方公務員だったお父さんは無職になります。家計の収入がゼロとなる非常事態におちいったため、考え抜いた末ゴルフ練習場のレッスンプロを始めることを決意し始めます。宮里藍さんのプロゴルファーとしての原点はここから始まるといってもいいでしょう。

 

女子高生プロゴルファーの誕生

宮里藍さんは、小さい頃からゴルフが大好きでしかもゴルフのレッスンプロである父親の宮里優さんから直接ありとあらゆる指導を受けていました。また2人の兄も藍さん同様に小さい頃からゴルフのレッスンを父親の優さんからみっちりと受けており、先に活躍していた2人の兄をずっと見てきていた藍さんは、「自分もプロのゴルファーになる!」と心に決め、高校の進学を期に沖縄から東北にいる兄の元へ行き仙台市にある東北高校を受験し合格、東北高校に在学しながらゴルフの技術を磨いていきました。

そして、高校2年生の時、ゴルフの「釜山アジア大会」に出場し見事金メダルを獲得します。

既にこの頃の藍さんは、アマチュアでしかも現役の高校生でありながらその実力のハイレベルさはプロに近いものがあるとされており、プロの試合に出ても優勝争いに係わる常連となっているほどでした。そして、2003年6月、18歳で出場した「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」で見事優勝を果たします。

またその年の2003年10月に出場した「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」での優勝を期に ”プロになることを宣言し、日本女子ゴルフ史上初の現役女子高生プロゴルファーの誕生となるのです。

 

賞金女王へ

プロとしてデビューした翌年2004年11月、19歳で出場した「エリエールレディスオープン」で優勝、この時の年間獲得賞金額は、プロ転向後わずか1年でついに1億円を突破します。さらに2005年、20歳で出場した「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で公式戦初優勝。史上最年少でツアー通算10勝をするとともに、大会史上初となる最年少での優勝となりました。

そして2006年、21歳からは活動拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移し、現在に至ります。2006年に導入されたゴルフでの世界ランキング制度ですが、その年の宮里藍選手は世界ランキング第6位です。

その後は、数々の不調等に悩まされ成績不振が続いた宮里藍選手でしたが、2010年には出場した試合の優勝が重なったことも幸いし、日本人プロゴルファーでは初となる世界ランキング第1位にランクインされるという快挙を達成します。

 

 

結婚や恋愛に対する考え

宮里藍選手の結婚観は、「結婚=女性の幸せ」という考えを持っており、先輩や周りの結婚についても心底喜ぶタイプ。「サントリー・レディス」でもらしたコメントでは『30代になれば結婚もしたいし、子供も欲しいと思いますが……』と話していました。31歳の現在、子供を育てる事などちょうど自身が結婚を考える年齢にさしかかっている今、やはり結婚したいという思いは日に日に強くなってきているようです。結婚して女性として幸せになることで、子供も育て、子供の夢と自身の夢も適える。そんな考えから今回現役引退という決断に至ったのでしょうか?5月29日の記者会見でいったい何が語られるのか?注目したいと思います。

 

5月29日追記

5月29日の記者会見での質問に、近々の結婚についてはまだないです。とコメントしていました。