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田畑智子の実家 料亭「鳥居本」が300年も続いている凄い訳とは?

田畑智子実家 料亭鳥居本」が300年も続いている凄い訳とは?について書いてみました。田畑智子さんと言えば実家が300年続いている京都でも有名な高級料亭鳥居本」のお嬢様だったことで知れており、また今回交際中である俳優の岡田義徳さんが、田畑智子さんとの結婚も視野にいれた事務所の独立をしたと話題になっています。

 

鳥居本は、卓袱料理(しっぽくりょうり)を京風に改良した「祇園料理」、京料理の伝統の底力を感じさせる、祇園屈指の老舗料亭!享保年間に初代・田畑與兵衛によって創業された!

 

田畑 智子のプロフィール

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 出典:田畑 智子画像 - Google 検索

 

本名:田畑 智子(たばたともこ)

生年月日:1980年12月26日(36歳)

出生地:京都府京都市東山区

血液型:A型

職業:女優

ジャンル:テレビドラマ・映画

活動期間:1992年(平成4年)12歳~

事務所:フロム・ファーストプロダクション

生家(実家):祇園の享保年間創業の老舗料亭鳥居本

主な作品

<田畑智子出演映画>

『ふがいない僕は空を見た』

『血と骨』

『隠し剣 鬼の爪』

『大停電の夜に』

『さんかく』

<田畑智子出演ドラマ>

NHK連続テレビ小説『私の青空』

『私の青空2002』

『風立ちぬ』

『救命病棟24時』

『天体観測』

『新・夜逃げ屋本舗』

『ラストプレゼント 娘と生きる最後の夏』

 

田畑智子さんは300年続く京都の老舗料亭「鳥居本」のお嬢様として小さい頃から厳しい躾を受け、日舞、水泳、ピアノ、絵画、三味線、英会話などたくさんの習い事で遊ぶ暇など全くなく毎日とても忙しい毎日を送っていいました。

しかし田畑智子さん曰く「それが辛いとか苦になっていたと言うことは全くなく当たり前の毎日で、むしろそれを楽しく感じていました」と言っています。

 

田畑智子さんの芸能界へのデビューのきっかけとなったのは、岩手県盛岡市出身の映画監督で、代表作品として「翔んだカップル」や「セーラー服と機関銃」等がある相米 慎二(そうまい しんじ)さんが、たまたま実家である料亭「鳥居本」に来た時に、「今撮っている映画でちょうど12歳ぐらいの女の子を探してるんですよ・・・」という話が出た時に、ちょうどその場に居合わせていた田畑智子さんに相米監督が「ピン」ときて、料亭「鳥居本」の女将であるお母さんに監督が直接「是非お嬢さん(田畑智子さん)にオーディションにでてもらうことはできませんか?と話がありそのまま田畑智子さんはオーディションに参加、見事合格して映画出演が決まりご両親も特に反対することなく応援してくれ、そして現在でも女優として田畑智子さんは大活躍しています。

 

祇園料理 料亭「鳥居本」

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店名 :祇園料理 鳥居本(ぎおんりょうり とりいもと)

電話番号:075-525-2810

住所 :

〒605-0074

京都府京都市東山区祇園町南側570-8 (エリア: 祇園 )

アクセス :京阪本線祇園四条駅7番口 徒歩6分

 

<営業時間>

【昼】 12:00PM~ 2:00PM

【夜】  5:30PM~ 8:00PM

定休日:毎月曜日・第二、最終日曜の夜

<おすすめ料理>

・おまかせ(懐石風)、ミニ懐石 8,400円(税込)~

・点心有楽 7,350円(税込)

(夜)

・懐石・祇園料理 18,900円(税込)~

・カウンター席 おまかせ 18,900円(税込)~

※別途サービス料

※予約は2名から

※「DigiStyle京都」から予約可能

 

 料亭「鳥居本」のルーツ

田畑智子さんの実家である料亭、「鳥居本」の味は、「祇園料理」と言われている独特のものと言われています。

 

「祇園料理」のルーツをたどると、その昔、中国料理が長崎に伝来した時、それが日本で卓袱(しっぽく)料理と呼ばれる独自の食文化へと進化しました。卓袱(しっぽく)とは一つの卓(テーブル)、一つの大皿に盛られたものを、皆で取り分けて食する料理のことです。

 

元々、私達の国日本ではこのような習慣は全くなく、各自が各々の膳のものを食べる風習でした。今食べられている「すき焼き」や「なべ料理」は元々の日本古来のスタイルではなく、貿易港としての長崎に伝来した大陸やら西欧の文化が、独自の様式に発展していって現在に至っている結果といわれており、卓袱(しっぽく)もその一つです。


料亭「鳥居本」は、その卓袱(しっぽく)料理を京風に改良して食べさせる店として、今から約300年程前、時代は「享保年間(1716年~1736年)」江戸幕府将軍は、「暴れん坊将軍」で有名な、徳川吉宗の時代に、田畑智子さんのご先祖、初代・田畑與兵衛によって創業されました。

 

「鳥居本」の名前は、創業当初、京の守護神・八坂神社の鳥居の近くに店を構えたことからこの名前が付けられています。

 

また「祇園料理」という名前は、長い年月をかけて歴代の店主(これも田畑智子さんご先祖)が時代に合わせた創意工夫を凝らし、由緒ある祇園の名に最もふさわしく洗練されていった結果、誰が言ってとかではなくそう呼ばれるようになりました。

 

田畑智子さんの実家である 料亭「鳥居本」は、今日でも創業以来の形式を決して崩すことはなく、「総菜」、「大菜」、「小菜」という伝統的呼び名を守り続けています。

 

一つの卓を囲んで各自が取り分けて食べる卓袱(しっぽく)料理に対して、元々の祇園料理では各自が膳立てした大皿の料理を食べるのですが、料亭「鳥居本」の祇園料理は、日本の都、京で進化した料理といえる風合いを今に伝えています。

 

 

料亭「鳥居本」の味

<素材の旨みを活かした心づくしの味>

 

田畑智子さんの実家である 京都・鳥居本 は、御吸い物を「総菜」、前菜や刺身を「大菜」、揚物や精進物を「小菜」などと呼び、それぞれに味わい豊かな料理の数々があります。

一例をあげると、

<海苔巻き餅>

一見どこにでもあるふうですが、ひとくち頬張ると、厳選された海苔の風味と程よく焼かれた上品な餅の香ばしさが口中に広がってゆき、餅ひとつにしてこれかと感心するほどで、さすが老舗料亭、只者の仕事ではないと深く納得してしまう一品です。

<アナゴの稚魚>

添えられたケチャップに一瞬驚く人もいるそうですが、口に頬張ると、ビックリするほどイキの良い稚魚にピリッと辛いケチャップが絶妙なマッチングを見せ、そのあまりの美味しさにたじろいでしまう人もいるほどで、半透明のプリプリと締まった身に、ケチャップの赤がかかり見ているだけでも楽しい一品です。

<はまぐりと土筆(つくし)のぬた>

この料理は、素材どおしがお互いを引き立て合い、遥か忘れかけていた懐かしい仲春の香りが鼻をくすぐり、これがまたたえられない逸品と言えます。蛤貝(はまぐり)を器とするあたり、昔の人の雅な遊び、「貝あわせ」を連想させてくれてとても楽しく、箸を運ぶ手が進む一品です。

<海老のすり身を入れた粕汁>

この粕汁は巷にある粕汁とはわけが違い極上の酒粕といわれています。使われている味噌がこの上なく上品な薫りを立ち昇らせ、その中に、丁寧な仕事ですり身にされた海老が各素材を殺すことなく主役の座に収まっています。濃いも薄いもなく、「ちょうどいい」という一言に尽くせるほど計算された椀です。

造り(刺身)

お刺身の一例では、鯛、あぶらめ(アイナメ)、烏賊(いか)。芽葱(めねぎ)と岩海苔(いわのり)を添えて食します。あぶらめは磯の高級魚として知られ、刺し身にして良し、煮付けにして良し、揚げて良しの、捌きかたによってけなげに変幻自在な表情を見せてくれる魚で、これをどう料るかは、それこそ職人の腕次第。田畑智子さんの実家である料亭・鳥居本 のあぶらめ造り(刺身)は、小味の良く行き届いた身がきゅっと締まっており、深い部分の仄かな甘味が、薬味の持つ香りをうまく呼び込んでくれ、またあぶらめだけはなく、可愛い芽葱(めねぎ)が爽やかな後味を残し、鯛も烏賊(いか)も最高で、お酒と相性も抜群、また飲まない人で十分楽しくなる秀逸な出来の料理が数々並びます。

 

まとめ

300年も続いている田畑智子さんの実家である 料亭「鳥居本」は、一つ一つ挙げていたらきりがないくらい美味しいものが登場し、また料亭「鳥居本」の女将は、田畑智子さんのお母さんで、彼女が切り盛りしています。旨い酒に、腕の良い料理人、別嬪の女将、落ち着いた座敷、何もかもがいいことづくめである田畑智子さんの実家、料亭「鳥居本」。300年も続くのが伺い知るといえますが今後も祇園の名店として私達を料理で楽しませてくれることと思います。