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新燃岳(霧島山)が噴火、身近で火山が噴火したら?生還女性が語る身も凍る事実

新燃岳霧島山)が噴火、身近で火山が噴火したら?生還女性が語る身も凍る事実について書いてみました。2017年10月11日5時34分に鹿児島・宮崎県境にある霧島山新燃岳噴火、噴煙は火口から300mまで上昇しましたが、噴火に伴う噴石の飛散は今のところなかったそうです。新燃岳噴火は、2011年9月7日以来6年ぶりなのですが過去にも何度な霧島山(新燃岳)は噴火をししかも周囲に相当な被害ももたらしました。火山(新燃岳)の噴火をほとんど身近に体験することのない現代の私達ですが、しかし実際にもし身近で火山(新燃)の噴火が起ってしまったらいったいどういう状況に陥る可能性があるのか?その一例を、2014年9月27日に発生した御嶽山(長野県と岐阜県にまたがる山)の噴火からまとめてました。

 

御嶽山の噴火から生還した女性が語る、「あの時・・・」「焼け死ぬのか、溶けるのかな…」

 

「2014年「御嶽山」噴火当時の様子

御嶽山の山頂近くにある山小屋の支配人は当時の状況を、「地震などの前兆が何もないなかで突然、噴火が始まりました。最初の噴火から数分の間に3回爆発があり、噴煙が上がって小屋の外は夜のように真っ暗になりました。また、雷とともに今まで経験したことのないお湯のように温かい灰が混じった雨も降ってきました。山小屋には噴石が直撃してトイレの屋根が落下しましたが、小屋にいた人にけがはありませんでした」と語っています。

出典:山頂近く山小屋支配人 状況語る NHKニュース

 

 生死を分けたもの?


長野県と岐阜県にまたがる御嶽山は3000m級の山ではありますが、初心者でも気軽に登れる山として多くの人が意外と気軽にきていた山で身近な山としても有名でした。しかし初心者でも気軽に登れることができるだけに、十分な準備をしていない人も多く、生き残れた人は運もあると思いますが、彼女は「生き残れたのは最低限の準備をしていったからだ」といい、またこの女性は、登山の際、日帰りでも簡易テントは必ず携行し、3千メートル級の山にはダウンジャケットも持っていった。夜になるまで生存していながら周囲で亡くなった人たちは、ダウンジャケットや簡易テントは持っていなく、生死を分けたのは「その差」だと語ります。

 

噴火は突然やってきた・・

当時の状況の推移

 

異変は音で気づいたといいます。何かがはじけるような「ポン・・ポン・・ボン・・」という感じの音がして、音がした方向を見ると、黒煙がモクモクと上がっています。

 


2014年9月27日午前11時52分。御嶽山が噴火。本当に噴火しました。しかし彼女は現実と受け止めることができず「まさか?、この山?とは思わず、どこか他の山なのかな?という感じ・・・」。最初は匂いや揺れといった確たる変化もなかったため、噴火の直後は周囲の登山客と同様に噴煙を写真に収めていたそうです。

 

 

しかし残酷な現実がその10秒後に彼女を襲います。周囲はいきなりモロに真っ暗になります。

 

「逃げる時間はなかった」。近くに身を隠せるような岩も見えたが「その場で立ち尽くすというか、動けなかった」。噴煙は、もう目前に迫っていた・・・。

 

 

想像もできなかった自分が今いる御嶽山の噴火。女性は迫り来る噴煙に背を向けるしかなく、「噴煙はとても熱く、まるで高温のサウナにでも入ったような感じで『焼け死ぬのか、溶けるのかな』と思います。

 

 

さらにその1分後。今度は噴石が彼女も含め付近の人たちに容赦なく襲い掛かり降ってきました。

 

山梨県富士山科学研究所の試算では、火口から噴石が出た速度(初速)は時速360~540キロ。地面に衝突した際の速度は最低でも108キロです。

 

 

女性にもそんな噴石が容赦なく降ってきて、頭をザックで覆っていますが、ザックで隠れていない後頭部や腰を直撃します。

「骨が折れた・・・のかな?」と思ったほど、これまで受けたことのない激痛が彼女に走ります。(実際に腰の軟骨は折れていました)

 

 

噴石の勢いが少し弱まったとき、近くで一緒にしゃがんでいた男性が声をかけてきて、「起き上がれないから起こしてくれ・・・」。その男性の体を支えてあげますが、すぐにばったり前に倒れ、どうすることもできず男性の口に付いた灰をぬぐってあげるしかなく、そのまま亡くなりました。

 

その直後、噴石が再度襲ってきます。最初より激しく降り注いだ噴石は次々と体に直撃、最後に身体が地面に沈むくらいの衝撃を左腕に受けます。「痛い・・、熱い・・、しびれる・・。今まで味わったことのないおかしな感覚・・・」が、・・・。

 

 

彼女は、噴石の勢いがすこし弱まった時、体を起こします。周囲で動ける登山客は3、4人。

 

 

その時彼女はおなかに重たいものを感じます。噴石の直撃でちぎれた自分の左腕でした。しかし体には少しだけくっついた状態で傷口からは血が滴り落ちていました。周りのひとに「止血お願いします」と必死に叫びます。

 

 

近くにいた男性が手ぬぐいで止血を試みたが、傷口のあまりな酷さに驚いたのか結びが緩く、別の男性がきつく結び直してくれます。

 

 

「腕をなくしたことは本当に残念だったけど、命を落とすことはなかった。とりあえずここまで乗り切れたから、生きよう・・・」と、彼女そう思います。

 

一夜を山で

無事だった登山客に下山しようと言われますが、貧血がひどく、腰にも違和感があり歩けません。その場に残る決断をします。

 

100メートルほど離れた場所に、身を隠せそうな石造りの台座を見つけ、失った左腕を抱き、何度も気を失いながら、足とお尻を使い、尺取り虫のように進みます。

 

途中にうずくまる登山客の男性がいて「一緒に行きませんか」と、声を掛けると、男性は時間をかけて台座近くまで来ました。

 

ほんの数メートルを長い時間を費やして移動し、台座を背にしたころには日が沈みかけていて、台座周辺には別の男性が一人、携帯電話で「今噴火にあって、ちょっと無理かもしれないけど、俺は絶対に帰るから」と家族と通話、そう告げています。

 

 

しかし今度は夜になるにつれ風が強くなり、標高3千メートルの過酷な環境が女性たちを襲います。

 

女性は日が暮れる前、台座の前を歩いて通り過ぎようとした男性に頼み、ザックの中からダウンジャケットと簡易テントを出してもらい、防寒対策として体に巻きつけます。

 

 

ふと携帯電話をみると、一緒に登っていた友人から何度も着信があった形跡があり、友人は無事だったんだ。少しだけほっとして折り返し電話を掛けます。

 

 

周りが暗くなる中、ただ寒さに耐えます。標高1千メートル付近にある御嶽山麓の開田高原での翌朝の最低気温は6・6度。女性が一夜を過ごした標高3千メートル付近は、冷蔵庫より寒い氷点下でした。

 

救助されたのは噴火から丸1日が経過した9月28日午後0時半。台座の周囲にいた2人の男性は息を引き取っていました。


心身ともに負った大きな傷。生死を分けたのは何だったのでしょうか?

 

「御嶽山は初心者でも気軽に登ることができるだけに、十分な準備をしている方は少なかった。生き残れたのは運もあるが最低限の準備をしていったからだ」と彼女はいいます。

 

《霧島山》の有史以降の火山活動について


霧島山の大規模な噴火は788年(御鉢)、1235年(御鉢)、1716~1717年(新燃岳)に発生しており、新燃岳と御鉢の活動が主になっています。

 

霧島山(新燃岳・御鉢)年代・現象・活動経過・被害状況等

※▲は噴火年を示しています

 


、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火

▲742(天平14)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 12月24日から4日間。

 


▲788(延暦7)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火大規模:マグマ噴火 4月18日。火砕物降下(片添テフラ)、溶岩流(霧島神宮溶岩)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0539 DREkm 3。(VEI3)

 


▲900年頃←→1100年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火大規模:マグマ噴火 火砕物降下(宮杉テフラ)、溶岩流(狭野溶岩)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0829 DREkm 3。(VEI3)

 

 

▲1112(天永3)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 3月9日。神社焼失。

 


▲1167(仁安2)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火、寺院焼失。

 


▲1235(文暦元)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 大規模:マグマ噴火(準プリニー式噴火) 1月25日。火砕物降下(高原テフラ)、溶岩流(神宮台溶岩)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.2599 DREkm 3。(VEI4)

 


▲1250年頃←→1350年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 中規模:マグマ噴火 火砕物降下(高千穂河原テフラ1)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0128 DREkm 3。(VEI3)
1278←→1287(弘安元~10)年 鳴動 弘安年間(1278~1287)鳴動。

 


▲1300年頃→1500年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 マグマ噴火 火砕物降下(えびのB1テフラ)。噴火場所は硫黄山。1307(徳治2)年 鳴動 詳細不明。

 


▲1350年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 中規模:マグマ噴火 火砕物降下(高千穂河原テフラ2)、溶岩流(高千穂河原溶岩)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0034 DREkm 3。(VEI2)

 

 

▲1350年頃←→1650年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 中規模:マグマ噴火 火砕物降下(高千穂河原テフラ3)。噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0023 DREkm3。(VEI2)

 

 

▲1500年頃←→1700年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 中規模:マグマ噴火 降下火砕物(えびのB2テフラ),溶岩流(硫黄山溶岩流)。
噴火場所は硫黄山。マグマ噴出量は0.0024 DREkm 3。(VEI2)

 

 

▲1554←→1555(天文23~弘治元)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。噴火場所は御鉢。

 

 

▲1566(永禄9)年 噴火 5月6日。、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。噴火場所は御鉢。
噴火 10月31日も噴火場所は御鉢。死者多数。

 

 

▲1574(天正2)年 2月、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。噴火場所は御鉢。

 


▲1576←→78(天正4~6)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火 噴火場所は御鉢。

 


▲1587(天正15)年 噴火 4月17日、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。1日に3回噴火。噴火場所は御鉢。

 


▲1588(天正16)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。地震 3月12日。噴火場所は御鉢。

 

 

▲1598←→1600(慶長3~5)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 


▲1613←→14(慶長18~19)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1615←→16(元和元~2)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1617←→18(元和3~4)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1620(元和6)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。
1628(寛永5)年 噴火? 9月29日。

 

 

▲1637←→38(寛永14~15)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 野火起こり寺院焼失。

 

 

▲1650(慶安3)年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。中規模:マグマ噴火 火砕物降下(高千穂河原テフラ4).噴火場所は御鉢。
マグマ噴出量は0.0057 DREkm 3。(VEI3)

 

 

▲1650年頃←→1700年頃 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。マグマ噴火 火砕物降下(高千穂河原テフラ5~11).噴火場所は御鉢。

 

 

▲1659←→61(万治2~寛文元)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1662←→64(寛文2~4)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1677(延宝5)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は御鉢。

 

 

▲1678(延宝6)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 1月9日。噴火場所は御鉢。

 

 

▲1706(宝永2)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 12月15日。噴火場所は御鉢。神社等焼失。

 

 

▲1716(享保元)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。大規模:マグマ噴火,(泥流発生) 享保噴火第1期(4月10日,5月7日)。小規模噴火.噴火場所は新燃岳22。
享保噴火第2期(9月26日)。山麓へ初めての降灰.
享保噴火第3期(11月9日)。1回目の大規模な軽石噴火.火砕流。噴火場所は新燃岳。 周囲15kmの地域内の数ヶ所から噴火。死者5名、負傷者31名、神社・仏閣焼失、焼失家屋600余軒、牛馬405頭死。享保噴火を通じた火砕物降下によるマグマ噴出量は0.07 DREkm 3。(VEI4)
享保噴火第4期(12月の4~6日間).小規模な噴火。

 

 

▲1717(享保2)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 享保噴火第5期(2月9日~22日。噴火場所は新燃岳。 数日間の休止期を挟んで3回大規模な軽石噴火が発生した後に,連日のように比較的小規模な噴火が発生。その間に付近の田畑が粗粒火砕物で、10~20cm埋まる。
噴火 享保噴火第6期(3月3日,3月8日,3月13日,4月8日(?))。比較的小規模な噴火が複数回発生。噴火場所は新燃岳。
噴火 享保噴火第7期(9月6日)。準プリニー式噴火。火砕流発生。噴火場所は新燃岳。比較的小規模な噴火に始まり,小規模な噴火を挟みながら2回の大規模な噴火が発生した。

1721年に「ラハール」発生記録あり。

※「ラハール」とは、火山砕屑物が水により流動性を持ち重力に引かれ流動する(火砕物重力流)現象で、水と共に山の斜面を流れ下ります ... 火山噴火により直接的に引き起こされる様式と、雨などにより2次的に誘発される2種類の発生様式があります。

 

 

▲1768(明和5)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。中規模:水蒸気噴火,(山体崩壊) 韓国岳で山体崩壊(えびのAテフラ)。

 

 

▲1771←→1772(明和8~9)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。噴火場所は御鉢。霧島市福山町及び志布志市あたりまで降灰。また、ラハール(「霧嶋山より流出ル川筋どろ水出」)が発生した。

 

 

▲1822(文政4)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 噴火場所は新燃岳。現在の霧島市国分からの記録では、1月12日の朝に白煙があがり、夕方から烈しく黒煙をあげ震動を感じたが徐々におさまった。 1月14日頃から少々の雨の後、ラハールが発生(「硫黄流出」)して河川が増水した。 1月17日に、発生源を調査したところ,新燃岳の山腹に新しい4ヶ所の火孔(「燃出候口」)から噴気が夥しくあがっており,その付近から硫黄混じりの泥が霧島川に流れ込んでいるのを確認。

 

 

▲1832(天保3)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)。噴火? 4月20日。

 

 

▲1880(明治13)年  9月、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。。噴火場所は御鉢。噴火の後、噴気活動活発。火口内に硫黄堆積。採掘に従事するも、明治22年12月の爆発により、硫黄は孔外に飛散する。

 

 

▲1887(明治20)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 5月頃。噴火場所は御鉢。「五月頃に至り俄に其近傍に四口を発し大に噴煙し昼夜に多量の硫黄を飛散する」、 「八月-此頃より霧島北方の火坑噴出破裂し遠雷の如き音響を発すると同時に震動し狭野,花堂附近は雨戸障子等の動揺すること甚だし 霧島山を仰げば噴煙渦巻き昇り噴煙中には電光石火の閃き悽々たる状を呈す二三分にして忽ち砂混りの拇指大の焼石を降らし屋根瓦又は木竹の幹葉を叩く音悽絶惨絶を極む(狭野神社記事)」といった記事有。

 

 

 

▲1888(明治21)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 2月と5月9日。噴火場所は御鉢。「五月九日,噴火」によるが、他に記載が無く詳細不明。ただし、通年活動している。

 

 

▲1889(明治22)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 12月10日。噴火場所は御鉢。01時頃噴火。
噴火 12月18日。噴火場所は御鉢。12時30分頃噴火。

 

 

▲1891(明治24)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 6月19日。噴火場所は御鉢。一昼夜14回鳴動し、黒色噴煙。山麓4km内外は草木等の葉を枯らす。
噴火 11月10日~20日。噴火場所は御鉢。昼夜14~15回、噴火し黒煙を上げる。近傍4km内外に灰を降らし所々草木の葉が枯れる。

 

 

▲1893(明治26)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 11月21日。噴火場所は御鉢。 「去月 [11月] 二十一日午後七時三十分俄然鳴動と共に噴火し火石を十町四方に飛し其大なるものは回り一丈五尺に及ひ其小なるものは南方里余に散乱し 暫く火岡状を呈せり其後噴烟は一昼夜七八回あり近来稀なる噴火なりき」。

 

 

▲1894(明治27)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。2月25日、26日、28日。噴火場所は御鉢。10:30爆発し、黒煙は東に流れ、宮崎地方に降灰ある。 西諸県郡高原村蒲牟田字祓川(御鉢の東約6km)では灰と共に大豆大の小石が降る。宮崎測候所で11:37~57迄の20分間に、1坪に2匁3分(2.6g/m 2)の割合の降灰。

 

 

▲1895(明治28)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 10月16日。噴火場所は御鉢。12:26噴火。鹿児島市では轟然たる爆音が聞かれ、黒煙を望む。4~5日前から噴煙主に盛んで、時々鳴動が聞こえていた。 都城では爆発音強く、山麓には焼け石落ちて、一面に煙が立つ。小林では大きな鳴動があり、家屋建物動揺強く、全村暗くなり、灰煙を降らす。山ノ根では焼け石落ちて、家屋22軒出火。 田口(御鉢の南西8km弱)で、長径2mの噴石。御鉢付近約2~3町(約200~300m)辺りで噴火に遭遇する3人連れの男子及び老女1名は噴石で死亡。
噴火 12月18日。噴火場所は御鉢。15時30分頃、大鳴動を発し黒煙上げる。焼け石は御鉢の東麓に飛散。枯れ草の焼失以外は被害なし。降灰は都城、南那珂郡飫肥(おび)(御鉢火口から南東約50km)。
噴火 12月21日。噴火場所は御鉢。13:15爆発、黒煙は東方に流れ都城付近各村に降灰ある(報知新聞;明治28年12月29日)。

 

 

▲1896(明治29)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 3月15日。噴火場所は御鉢。8時26分爆発。登山中の仏国海軍大主計「リエール」氏は噴石に打たれ負傷し、案内者は死亡。
噴火 6月23日。噴火場所は御鉢。宮崎で、00時頃少し鳴動し、当日01時過ぎには爆発音あり、降灰もある。

 

 

▲1897(明治30)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 5月3日。噴火場所は御鉢。鳴動噴煙し、都城地方に降灰あり。茶葉及び桑樹に多少の損害あり。
噴火 6月25日。噴火場所は御鉢。鹿児島市で12時頃小雨に混じり微量の降灰。
噴火 9月4日。噴火場所は御鉢。20時頃噴出。約10分間継続し、多少焼け石を散落させる。

 

 

▲1898(明治31)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 2月8日。噴火場所は御鉢。午前1時頃鳴動噴煙、降灰あり焼石飛散する。同日午前1時30分頃、再び鳴動あり。
噴火 3月11日。噴火場所は御鉢。3月11日18時20分頃、噴火鳴動し、焼石を数町の間に飛散する。震動は凡そ5分間。3月11日19時頃轟発し、宮崎では戸障子振動し、降灰あり。
噴火 12月26~30日。噴火場所は御鉢。12月26日高知市で、降灰あり。12月27日午前2時前後、松山市で遠雷の如き異響3回聞こえる。 12月28日朝北宇和郡明治村及び吉野生村付近で降灰あり。12月30日23:00頃鳴動し、宮崎では雪の積みたるが如し

 

 

▲1899(明治32)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 7月28日。噴火場所は御鉢。13:30頃、遠雷の如き鳴動激しく、山麓の家屋は震撼せり。黒煙を噴出する。
噴火 9月12日。噴火場所は御鉢。9月12日午前鳴動し、宮崎で降灰あり。
噴火 10月13日。噴火場所は御鉢。03:05頃、鳴動し、火煙を噴出する。黒煙は東方に向かって消散する。鳴動は巨大なる砲声の如く次第に遠雷の如くなり、約2分間続く。
噴火 11月7日。噴火場所は御鉢。朝、鳴動し宮崎に降灰あり。

 

 

▲1900(明治33)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 2月16日。噴火場所は御鉢。09時頃噴火。狩猟のため、飼犬7頭を引き連れ、霧島山西南山腹の大尾ノ谷で爆発に遭遇し5名とも重症を負い、内2名は後に死亡。 爆発に遭遇した場所は噴火口から800~1000間(1450~1820m)。

 

 

▲1903(明治36)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 8月18日。噴火場所は御鉢。「十八日午前二時霧島鳴動と共に激しく噴火し降灰甚だしく高原村地方は桑葉に害をなし夏蚕飼育者は非常に困難せりと又霧島の御池には夥の鮒の死するありたり これ鳴動のためか又は雨のために硫黄を流し込みしにより然りしものか判明せすといふ」(宮崎新報;明治36年8月22日)」
噴火 8月29日。噴火場所は御鉢。爆発し、加久藤では強い鳴動を聞く。
噴火 11月25日。噴火場所は御鉢。20:25頃爆発。宮崎では家屋振動する。牛ノ臑(うしのすね、御鉢の東南東7km)では拳大の噴石あり。

 

 

▲1913(大正2)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。4月2日。4月13日。噴火場所は御鉢。「4月2日,演者は霧島火山の高千穂の峰に登山するため午前10時30分頃御鉢火口の火口壁上に達した. その時突如として同火山が爆発したので一時難を避けて無事なるを得た.この爆発では暗黒色の岩屑塊が火口底から2条その直上に放出され, いずれも尖頭をなして杉の木立の観を呈したのが形の上の特徴であつて,岩片の擦れ合う音と落石の音との外は爆音を聞くことが出来なかつた. 岩屑塊の高さは火口底から略々400mにも達したものと思われ,爆発の瞬間には少しも噴煙を認めることが出来なかつた.併し間もなく噴煙があつたものと見え, 避難後再び火口壁上に戻つて火口内を眺めると,暗灰色の噴煙がたなびき強い亜硫酸ガスの臭気が感ぜられた. また,演者が最初に立つていた火口壁上まで噴き出された岩塊が落ちていて,噴出地点からの水平距離は約250mに及んでいた. 岩片の放出は直上に向つていたから,大部分は火口底に落下したようであるが,また火口壁の内外に達したものも相当量に及んだものと推測される。
噴火 11月8日。噴火場所は御鉢。5月19日4:20頃、西諸県郡加久藤村にて地震を感知し9月1日までに175回。10月17~19日の間に3回の強震。 11月8日23:00頃に御鉢で爆発。焼石を噴出する。狭野(高原町、御鉢の東北東7km)、西麓(高原村、御鉢の北東10km)に焼石を噴出。加久藤では火柱を認める。
噴火 12月9日。噴火場所は御鉢。4:15爆発。降灰は宮崎であり。高原では大砲の如き音響あり。 噴出した大小火石は高千穂峰及び同山腹に飛散し星の如き光を放つ。西岳村中ノ山付近(場所?)には周囲4~5寸(12~15cm)の火石が降る。 本年2回の噴火は去る明治36年11月25日の爆発に比べて著しく軽微である。

 

 

▲1914(大正3)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 1月8日。噴火場所は御鉢。
02:20頃爆発。宮崎では前回に比べ爆発音は比較的強い。戸障子震動するも降灰なし。西岳村牛ノ臑方面(御鉢の東南東7km)は栗実大の石を降らせる。 御池より西方噴火口に近い赤道の一部落は屋根の上に落下する。空振は日向極北部の三田井(御鉢の北北東100km)、延岡(御鉢の北東105km)。 爆発音は田野(御鉢の東南東35km)、都城(御鉢の南東25km)。降灰は姶良郡東襲山村。
1915(大正4)年 地震 7~8月。吉松、栗野では震度強。

 

 

▲1923(大正12)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 7月11、15、16、20日。噴火場所は御鉢。死者1名。
1934(昭和9)年 湖面変色、火山ガス 火口湖の水が混濁し、水底よりガスを発生。火口湖の周囲10m位の位置で灌木が多く枯死。
1958(昭和33)年 噴気 11月19日。大浪池火口縁で小噴気活動。

 

 

▲1959(昭和34)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。中規模:水蒸気噴火 2月13日、17日。噴火場所は新燃岳。2月13日の小規模爆発の後、14:50に爆発的噴火が発生。東西500mの火口列形成。 火口の西北西約3kmにある警察無線中継所が被害を受けた。宮崎県小林市、高原町、鹿児島県霧島町では噴石、降灰多量、森林、耕地、農産物に被害大。(VEI2)。
1961(昭和36)年 地震 3~4月。吉松町付近で地震群発。
1966(昭和41)年 地震 4月27~30日に地震群発。震源は吉松町、京町方面。
1968(昭和43)年 地震 「えびの地震」。えびの市、吉松町で群発地震。最大地震は2月21日M6.1、震源は韓国岳の北西15km付近。死者3名、負傷者42名、住家全壊368棟。被害を伴った地震は他に4回。
1971(昭和46)年 水蒸気噴火 8月5日。噴火場所は手洗温泉14。豪雨による地すべりおよび土石流の発生があり、噴気孔の閉塞により爆発が発生した。
1975(昭和50)年 地震 9月29日頃~10月中旬。えびの市・吉松町付近で地震群発、最大地震10月17日M4.1、えびの市で震度4。
1976(昭和51)年 地震 2月8日。吉松町付近で地震、吉松町で地鳴りを伴い震度3。
1978(昭和53)年 地震 7月7~8日地震群発、7日には霧島労災病院(新燃岳南西3km)で地鳴り、震度1。8月29日~9月中旬、えびの方面で地震、最大地震8月28日M4.3、えびの市で震度3。
1980(昭和55)年 地震 12月3日。韓国岳付近でM3.2、えびの市で震度3。
1980~81(昭和55~56)年 噴気 80年12月~81年9月。硫黄谷温泉付近の噴気地帯拡大。
1981(昭和56)年 地震 1月13~14日。新燃岳付近で群発地震(無感)。
1981~82(昭和56~57)年 噴気 81年12月~82年5月。新燃岳第6噴気孔の温度上昇(最高208℃)。
1983(昭和58)年 地震・火山性微動 12月28~29日。新燃岳付近で群発、無感。29日火山性微動。
1985(昭和60)年 地震 8月28~30日。新燃岳付近で群発地震(無感)。
1986(昭和61)年 地震 4、9月。4月28日牧園町で3回の地震発生、推定最大震度4~5、被害あり。9月21日栗野岳付近で地震2回、深さ約3km、最大M2.0、えびの高原一帯で震度1。
1988(昭和63)年 地震 10月3~9日。新燃岳付近で群発地震(無感)。8日火山性微動(1983年以来)。

 

 

▲1991~92(平成3~4)年、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。 水蒸気噴火 噴火場所は新燃岳。11月13日から新燃岳直下で地震急増、26日まで多発。同時に微動多発。92年1月まで連続微動多発状態。11月24日新燃岳火口噴気活発化確認。91年12月~92年2月まで、時々火山灰噴出。
1992~94(平成4~6)年 地震 新燃岳付近で時々火山性地震増加。
1995(平成7)年 地震・火山性微動 新燃岳付近で火山性地震増加。4月26日、8月25~30日、9月下旬。4月26日火山性微動発生。
1999(平成11)年 地震・火山性微動 11月6日から、新燃岳を震源とする火山性地震増加。日回数の最高は10日の192回。また、12月16日に火山性微動が発生し、継続時間の合計は32分、その後、12月中に約20回発生。
2003(平成15)年 火山性微動 御鉢で時々火山性微動が発生。12月12日には、これまでで最長の微動が発生し、翌日に御鉢火口内南側で噴気孔が確認された。噴気は時々火口縁を越えた。
2004(平成16)年 火山性微動 御鉢で1、3、11月に継続時間の長い火山性微動発生。噴気は消長を繰り返しながらやや活発な状態。噴気は時々火口縁を越えた。
2005(平成17)年 火山性微動 御鉢で時々火山性微動発生。噴気は時々火口縁を越えた。
2006(平成18)年 火山性微動、地震 新燃岳で火山性微動、火山性地震。御鉢で時々火山性微動発生。噴気は時々火口縁を越えた。
2007(平成19)年 火山性微動 御鉢で時々火山性微動発生。

 

 

▲2008(平成20)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。小規模:水蒸気噴火 8月22日。噴火場所は新燃岳。小林市方面へ降灰。
(VEI1)。

 

 

▲2010(平成22)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。水蒸気噴火 3月30日、4月17日。噴火場所は新燃岳。5月6日に火山性地震多発したのち、5月27日、6月27日、6月28日、7月5日、7月10日にも新燃岳でごく小規模~小規模噴火を繰り返した。

 

 

▲2011(平成23)年 、霧島山(新燃岳・御鉢)噴火。中規模:マグマ噴火 新燃岳1で1月19日に小規模噴火したのち、1月26日に準プリニー式噴火に移行。多量の火山灰や軽石を放出。準プリニー式噴火は1月27日まで継続。 1月27日頃から火口内に溶岩が噴出し、2月上旬まで成長を続け、直径約600mに達する。爆発的噴火が、1月27日から3月1日にかけて、13回発生。2月1日の爆発的噴火で、新燃岳火口から南西3.2km付近に大きな噴石が落下。 また、空振により鹿児島県霧島市で窓ガラス等が破損。2月14日の爆発的噴火で、小さな噴石(火山れき)宮崎県小林市に降下、車のサンルーフ等が破損。 また、2011年9月上旬まで噴火を繰り返し、3月13日の噴火で、降灰は日向灘にまで達し、小さな噴石(火山れき)が、新燃岳火口から南東方向約9kmの都城市夏尾町に降下。 4月3日の噴火で、新燃岳火口から約600mの範囲に大きな噴石が飛散。 4月18日の噴火で、新燃岳火口の西から北側の約1kmの範囲に大きな噴石が飛散し、小さな噴石(火山れき)が、新燃岳火口から東側約9kmの宮崎県高原町に降下、太陽熱温水器や太陽電池パネルが破損。 4月、6月、9月には噴火に伴う降灰を50~60km離れた熊本県等で確認。マグマ噴出量は0.0172 DREkm 3。(VEI3)

 ※引用:「気象庁・霧島山 有史以降の火山活動」より

 

火山解説より引用防災上の警戒事項等

・火口から概ね1kmの範囲では、噴火に伴う弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください。

 

・噴火時には、風下側で火山灰だけでなく小さな噴石(火山れき)が風に流されて降るおそれがあるため注意してください。

 

・引き続き地元自治体等が行う立入規制等に従ってください。

※引用:気象庁の火山解説より

 

まとめ

いかがでしたか?前回の噴火から6年がたった2017年10月10日新燃岳(霧島山)が噴火、今のところ日常生活への影響はないとの事ですが油断は禁物です。御嶽山から片腕を失いながらも生還した女性は、まさか自分のすぐそばで噴火が起きるとは思ってもみなかったですし、身近で噴火に巻き込まれたときの凄まじさや本当に危険だということも身をもって体験しています。新燃岳(霧島山)の今後の火山活動にはまだまだ注意が必要と思われます。