ローラの経歴とファンクラブ解散、独立騒動。ローラはどこに向かっているのか?について書いてみました。バラエティ番組には常に登場し、またサントリー、ユニクロ、楽天など、超一流有名企業のイメージキャラクターも務める人気モデルでタレントのローラが、事務所である「LIBERA(リーベラ)」社長とのトラブルが報道され関係は修復不能、芸能界引退?も一時危機が囁かれ現在、ローラと所属事務所「LIBERA(リーベラ)」との契約問題を発端とした独立騒動に新たな展開が起きています。
《黒い心を持った人とは絶対に一緒にいたくない。10年の信頼をかえしてください》と、自身のTwitterに事務所とのトラブルを示唆していた
ローラのプロフィール
画像引用元:ローラ画像 - Google 検索
本名:佐藤えり
※デビュー当時の芸名:「西園寺ローラ」
生年月日:1990年3月30日(27歳)
出身地:東京都
身長:164㎝
体重:47㎏
血液型:B型
兄弟:双子の兄
言語:日本語、ベンガル語、英語が少しが話せる
口癖:おっけー、まいっかー、いい感じー、うんわかったー、うふふふ
職業:タレント・モデル・女優
所属事務所:LIBERA(リーベラ)
趣味:絵を描くこと、トランペット、アーチェリー、釣り
特技:料理、ボウリング(スコア200!)
好物:わらび餅、きゅうり、さくらんぼ、梨、マンゴー、豆大福、チョコレート、韓国料理、お酒(特に梅酒)
※コントロールしつつも食べることが超楽しみで大好き
苦手:グレープフルーツ、おしるこ、らっきょう、イチヂク、コーヒーゼリー
※ローラとう今の芸名は、アメリカの懐かしの海外ドラマ「大草原の小さな家」
に登場する「ローラ」からとっています。
ローラの経歴
複雑な家庭環境で育った幼少期のローラ
ローラの父親はバングラデシュ人で、母親は日本とロシアのクォーターです。
ローラは1990年に日本で生まれますが、その後1歳の時に父親の故郷であるバングラデシュへ行くことになります。そしてローラは6歳で日本へ帰国。しかしその後もローラは父親の故郷であるバングラデシュへ往復する生活が続き言葉や勉強もままならないまま、その間にローラの両親は離婚しました。
その後ローラの父親は中国人女性と再婚し、1999年(平成2年)、ローラが9歳になった頃、東京都国立市にある粗末で小さな木造のアパートで暮らすようになります。
当時のローラは双子の弟と父親、そして、ローラの父親と再婚した中国人の母親のとの間に生まれた双子の赤ちゃん、そして中国人の母親の両親との合計8人で生活していました。
狭いアパートでの生活がしばらく続いたあとローラの父親と再婚した中国人の母親の両親はそのままアパートに残り、ローラ 一家は多摩市の都営団地の抽選に運よく当選し引っ越しますが暮らしはけっして楽ではなく、かなり貧しい生活を強いられ、ローラは高校生になると地元のホームセンターでアルバイトし、家計を支えていました。
複雑な家庭環境のローラ
小学生時代ローラは日本語が話せなかった
ローラは6歳で日本に帰国、その時ローラはベンガル語しか話せないまま小学2年生として入学します。そのためローラは最初ジェスチャーで会話を乗り切っていましたが、いじめなどは一切なく不思議と学校でのローラは人気者で楽しく過ごしていました。
そしてローラは小学4年生の頃にようやく日本語が話せるようになりますが、再びバングラデシュへ戻ります。しかしローラ、今度はベンガル語を忘れてしまい、現地の英語学校に入学しますが英語もバングラデシュ語も分からず、結局その時ローラが覚えたのは発音だけでした。
その後また日本に帰国したローラ。
ローラ曰く、『日本語をまともに話せるようになったのは中学3年生の頃だったよ』語っています。
高校時代にスカウトされたローラ
高校生のローラは地元のホームセンターでアルバイトし、家計を支えていましたが、その頃の夢は、「スチュワーデスになって世界中を国々を回ってみたい」と考えていたローラでしたが、16歳の時に渋谷で芸能プロダクションにスカウトされ、その後の人生が大きく転換していきます。
ローラ、LIBERA(リーベラ)との独立騒動に新たな展開
ローラ ファンクラブ解散、独立騒動で新展開 コンテンツ更新できず
2017年に入ったローラは、それまで当たり前のよいうに登場、引っ張りだこだったレギュラー番組が全くなくなってしまいます。ある芸能レポーターは「やはり事務所独立へのカウントダウンとみる人は多いようです」と語ります。デビューして10年のローラでしたが、2017年6月のツイッターでのつぶやきが、事務所への不信感と、彼女を見いだし育ててきた社長との関係悪化している原因ではないかとみられています。
2016年12月公開のハリウッド映画『バイオハザード:ザ・ファイナル』に出演を果たしたローラでしたがこれは海外進出を夢見ていた所属事務所:LIBERA(リーベラ)の社長と二人三脚で手にした大仕事だでした。しかしそんな事務所の社長も現在ローラのことをうまく管理できていないようです。そこにはある男性のカゲがあるといいます。
ローラは今、彼女はあるデザイナーに心酔していて、私服も彼のブランドのものしか着ていないんじゃないかと思うほど。その人は世界的に有名なデザイナーのマッシモ・ジョルジェッティで、彼女のインスタグラムにも頻繁に登場しています。
マッシモは今年4月まで一流ブランド『エミリオ・プッチ』のクリエイティブディレクターを兼務。自分が故郷・イタリアで立ち上げたブランド『MSGM』は、本国をはじめ、世界中の若者に人気を誇っている有名なデザイナー。
ローラとの出会いのきっかけは、'2013年ごろに自分のブランドを着ている彼女の姿をインスタで発見。日本のスタッフを通じ、彼女を紹介してもらったのが始まりでした。
今では雑誌で着用する服や撮影地など、事務所がOKしてもローラ本人から“マッシモに相談する”と言って、彼の意見を聞いてから何もかも決めています。予定が急に変わることもしばしばで、ますます事務所はローラをコントロールできなくなっているようで、もともと、海外志向が強いローラは、彼の意見をいちばん尊重する。今後は活動拠点を日本から海外に移すのではないかともいわれています。
まとめ
バラエティ番組などで引っ張りだこだったローラに芸能人としての生命が絶たれてしまう可能性もある事務所独立。話題のローラもだいぶ事務所側とこじれているようですが、はたしてローラはどこへ向かおうとしているのでしょうか?今後の展開にも目が離せないところです。