マクロン氏が勝利、フランス!24歳年上夫人とのなれそめと驚愕の事実・・・について書いて見ました。大混戦だったフランス大統領選挙の結果は若干39歳のスーパーエリート、エマニュエル・マクロン氏が勝利しましが、ここにもう一つの話題、マクロン氏の夫人ブリジットさんが親子ほど年の離れた25歳年上ということでも話題になっています。
大恋愛の末結ばれたマクロン フランス大統領夫人は24歳年上の元高校の担任教師!
マクロン氏プロフィール
『名前』:エマニュエル・マクロン
『生年月日』:1977年12月21日(39歳)
『出身地』:フランス・ソンム県アミアン
『星座』:いて座
『出身校』:
・アンリ4世高等学校(フランスの名門高校)
※フランス教育省が発行する中等教育レベル認証の国家資格「バカロレア」を取得する
・第10大学(パリ)
・パリ政治学院(2001年卒業)→フランス国立行政学院(2002年~2004年)
『前職』投資銀行員
『所属政党』
2006年~2009年:社会党
2009年~2016年:無所属
2016年~:前進
神経学者である精神科医の父親と、母親もまた医師。そんな両親のもとに生まれたエマニュアル・マクロン氏は幼少の頃から相当な秀才で、出身校である「アンリ4世高等学校」やまたサルコジ大統領も卒業した「パリ10大学」などはフランスでは誰もが知るハイレベルな超名門校として有名でそこを卒業します。
社会人になってからは投資銀行に入りますが、その銀行はヨーロッパの財閥や貴族として名高い”ロスチャイルド家”と繋がりのある中堅の「ロスチルド&Cie」銀行に2006年から入行し、その4年後の2010年には30歳代半ばで副社長に就任します。この時の年棒は200万ユーロ、日本円に換算すると約2億4千万円以上という超エリート街道を進んできました。
文字通りのスーパーエリート街道をまっしぐらに進んできたマクロン氏でしたが、大統領に就任してから予定する政策は、フランスで今最も注目を集めているEU問題で、その問題に関してイギリスとは真逆の「EUに残留する」方針を展開、このことはフランスの労働者階級の人たちや、一般層にあたる有権者からは「所詮庶民の気持ちなどはわからないエリート政治家」と言われ、本当は選挙では対立候補の「ルペン」にも、また「マクロン」にも両方に投票したくはない!というフランス市民が多数いたことも事実でした。
大恋愛の末結婚した24歳年上の夫人
マクロン氏についてのもう一つの話題。「年齢差24歳の夫人」ブリジットさん(63歳)。マクロン氏が39歳という事に対してブリジットさんは63歳。実に24歳という親子ほど年の離れているこの二人の馴れ初めはいったいどこから始まったのでしょうか?
二人の出会い、なれそめ
二人の出会いは、当時マクロン氏が15歳。アミアンというフランス北部の片田舎町で、ブリジットさんは通っていた高校のフランス語の教師でした。彼女は優しくて思いやりがありとても優秀な教師でしたか、当時のブリジットさんには既に結婚した銀行員のご主人と3人の子供もいました。
始めは15歳の子のたわごとと軽く思っていたブリジットさんでしたが二人はいつしかお互いに好意を持つようになり実際に交際が始まったのは彼が17歳になった時でその時のプロポーズの言葉が
「あなたが何をしようと、僕はあなたと結婚する・・・」でした。
出典:http://www.gettyimages.co.jp
お互いの愛を深めていく二人でしたが、結局密会の様子がバレてしまいブリジットさんは離婚を決意することになります。子供さんたちはご両親が離婚することになってしまいましたが3人のお子さんはお母さんのことを愛するマクロン氏のことはとても気に入っていたようです。
これに対し医師であったご両親は猛反対。マクロン氏をブリジットさんから遠ざけるためと、もう一つ周囲からのあまりのバッシングにも耐えられなったことも重なり、地元から遠く離れたパリにある「アンリ4世高等学校」に転校させ、ブリジットさんにも”息子が高校を卒業する18歳までは距離を置いてくれ”とこう頼み込みます。
一旦は引き離されたマクロン氏とブリジットさんでしたが、マクロン氏の思いが変わ
ことはなく、引き離されたことによりますます愛は強くなり周りからの強烈なバッシングを
受けながらもマクロン氏はエリート官僚への道を、ブリジットさんはそれまで働いていた高校を退職しパリの私立高校の先生となり献身的に彼を支える道を選びました。
禁断の愛を経ての結婚
晴れて二人が結婚したのは2007年、マクロン氏が29歳そしてブリジットさんが54歳のときでした。
マクロン氏に直接の子供はいませんが、ブリジットさんの子供たちと現在も仲良く暮らしており、お孫さんもいます。