片岡鶴太郎の嫁と家族。売れなかったお笑い芸人がここまでストイックに成功した訳とは?について書いてみました。タレントや俳優として活躍する傍ら、画家としても精力的に活動を続ける片岡鶴太郎さん。38年間連れ添った奥さん(嫁)と先ごろ離婚もされました。若い頃の下積み時代から現在まで片岡鶴太郎さんが成功した彼の人生観とはいったいどこから来るのでしょうか?今回はそんなところに迫ってみたいと思います。
定年後に遊ぶのでは遅すぎる!自分を喜ばせるのは何か?知っていますか・・・本気で遊べば人生は愉しくなる
片岡鶴太郎のプロフィール
名前:片岡鶴太郎(かたおか つるたろう)
本名 :荻野 繁雄 (おぎの しげお)
生年月日: 1954年12月21日(62歳)
出身地:東京都荒川区
身長 :163 cm
体重:43kg(2017年8月18日現在)
血液型 :O型
職業 :俳優・お笑いタレント・画家
活動期間(デビュー) :1973年 (昭和48年)、19歳~
所属プロダクション: 太田プロダクション
片岡鶴太郎オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/tsurutaro-blog/
主な出演作品
テレビドラマ
『男女7人夏物語』
『太平記』
『家栽の人』
『終着駅シリーズ』
『梅ちゃん先生』
バラエティー番組
『オレたちひょうきん族』
『夕やけニャンニャン』
『森田一義アワー 笑っていいとも!』
映画
『異人たちとの夏』
小さい頃からお父さんに連れられて寄席や演芸場へ通い、物心づいた頃から芸人を志していた片岡鶴太郎さんは高校卒業後、土木作業員などの仕事を経験した後、1973年(昭和48年)19歳の時に声帯模写(せいたいもしゃ)の片岡鶴八(かたおかつるはち)師匠に弟子入り、声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになります。1976年(昭和51年)22歳の頃には大阪で、コメディアン兼トランポリン芸人の”隼ジュン”の元で修行、当時は今とは違う芸名、岡鶴太郎でトランポリンの地方興行を行っています。
しかし元々向上思考の強かった鶴太郎さんは、「俺は一生このまま終わっていいのだろうか・・・」と現在の自分に不安を感じるようになり、2年ほどで一座は脱退。知人の紹介で愛媛県、松山市にある道後温泉の劇団に所属、司会やモノマネの仕事に就き芸人としての修行を重ねます。温泉旅館に宿泊する老人のお客さんに自分の芸である、声帯模写や”小森のおばちゃま”などモノマネなど披露していましたが、あまりウケてはいませんでした。しかし一緒に仕事をしていた座長の娘だけは鶴太郎さんの才能を見抜ており、それから半年後に一緒に東京へ出て結婚。夫人との間には男の子を3人儲けます。
家族
嫁
・荻野智子(おぎのともこ)2017年3月離婚
長男
・荻野貴匡(おぎの たかまさ)
1981年生まれ(36歳)
俳優兼実業家
株式会社ネクストグローバルフーズ代表取締役
飲食店「もつ焼き のんき」を東京、神奈川、大阪、香川など各地に店舗を展開
次男
・荻野綱久(おぎの つなひさ)
ミュージシャン兼アートパフォーマー
ロックバンド「ILL」のリーダーとしてボーカルとギターを担当
三男
・荻野聡士(おぎの さとし)
料理人/日本料理の名店「京都 吉兆 嵐山本店」で料理人として活躍中
成功の秘訣と人生観
定年後に遊ぶのでは遅すぎる
鶴太郎さんは、「本気で遊ぶという事と、自分の魂(心)を喜ばせるのは何か知っていますか?もっと根源的に自分の魂(心)を喜ばせるためには何ができるかを追い求めましょうよ・・・」と、彼自身が昔も今も追い求めているものは、ただその1点だけと言います。
お笑いタレントでもあり、俳優、画家、ボクサーなどさまざまな顔を持つ片岡鶴太郎さん62歳。『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』の著者でもある鶴太郎さんは、
立派に子供を育て上げ、無事に定年まで働き、他からみたら一見、幸せなことのように思えるその一方で「定年後、毎朝起きてからやることがない」と嘆いている中高年がとても多く、また、今現役の人にしても、平日は仕事で忙しいからいいものの、週末になれば暇を持て余し、この先60代になって定年退職したら、どうなるのだろう・・・。そんな不安が頭をよぎる人も多いと聞きます。
一般の人とは違いますが、鶴太郎さんは、やりたいことがあって毎日時間が足りないと思うくらい毎朝起きるのが楽しみでしょうがないと言います。テレビの仕事に恵まれていることもありますが、その仕事を抜きにしても、毎日やりたいことがあって時間が足りないのです。
鶴太郎さんはもともと、物まねをする声帯模写(せいたいもしゃ)のお笑い芸人でその後、お笑いだけでなく、プロボクサー、役者、書家、画家、ヨーギ(ヨーガをする人)といくつもの顔を持つようになりました。まるで5人分、6人分の人生を楽しんでいるともいえるでしょう。しかし、芸能人で裕福だからでとか、ただ単にそのような楽しみに巡りあったという訳ではないといます。これは彼の性格にもよりますが、その時その時の自分の境遇に満足し感謝していてはいても、そのままにしておくことができず、もっと何か楽しいことがあるんじゃないのか?もっともっと自分が楽しむにはどうすれば・・・?と考えるクセというのかそんなふうに頭の思考がなっているようで、結果新しいことにチャレンジしたい、そしてほんのささいなきっかけから、新しいことを始めるようになり、そういうふうにやってきた結果が62歳になる今でも「毎朝、起きるのが楽しみだ」と断言できる人生を歩んでいるようです。しかし、
新しいことにチャレンジするには、それなりのエネルギーもいり、時には悩んだり苦しんだりします。しかしその先にはそれまで味わったことのない新たな楽しみが自分にご褒美として待っているのだそうです。
人間は楽しむために生まれてきている
まずは自分自身の心の内側に「自分は今何をすればもっと喜びがでてきて、もっと楽しむことができるんだろう・・・」と自分の心に問いかけ、その心の存在を知り、そして、もしやりたいことを見つけたら、毎日コツコツと植物に水やりをしていくようにやってみると、やがて芽吹き、楽しくやれるようになり、ちょっとしたきっかけで始めたことが、人生最大の楽しみにつながって行くのだそうです。
物まねから入って上達する
「本気で遊べば人生は愉しくなる」と鶴太郎さんはいいますが、新しく始めたことをものにするのにおススメなのが、まずはモノマネをしてみてはいかがでしょうか?と言っています。 物事を始める、そして上達していくには、まずマネてみることが大切だと言われます。
芸人の世界では、型をまねることから始めるのが上達の近道となり、まずは師匠の型をとことんマネ、そしてマネるのが上達したら「自分としてはこうしたい」と工夫しながら磨きをかけ、師匠の型を破る段階に発展していき、さらにその型から離れると、自分の独自性を発揮する境地に達し、「人生を愉快にするのは、物まねから」といっても過言ではありません。これには鶴太郎さん自身、大好きな人たちの声や姿をまねるうちに、役者として演じることにつながったといいます。
幼い頃から大好きだった世界チャンピオンをマネるうちにボクシングのプロライセンスを取得したり、尊敬する画家の絵をまねるうちに、今度は画に引き込まれていきました。
あくまでも自分の心が歓喜することは何か?を自分自身に問いかけながら、楽しく、自由に、本当に心からやりたいと思うことをやる人生を鶴太郎さんは歩んでいます。
「まねる」ということは「学ぶ」ということ
鶴太郎さんは、「芸人になる前もなった後も、”自分は絶対にできるんだ”というある種のうぬぼれや思い上がりに近い気持ちで、物まねに取り組んでいたような気がします」と言っています。それを認識した上で、何かを会得していくために「反復練習」しかなく、これはどんな仕事、どんな物事でも同じで「匠」と呼ばれるような達人でも、最初からはうまくいかず、、毎日毎日繰り返しているうちに、何かが見えてくるようになる。そこに至るまでの早道は反復練習以外にないと言っています。
のめり込んだボクシングを始めたときも、その後取り組んだ絵や書のときも、最初はあこがれの人の所作や作品をまねることから始めて、あとはひたすら反復練習に打ち込みます。これは鶴太郎さんがずっとやってきた物まね芸の修練と同じだったそうです。「まねる」ということが「学ぶ」ということにつながり、先輩や師匠のいいところをまねていくことが、自分が欲する物を手に入れるためのいちばんの近道であり、物事の上達の本質だと鶴太郎さんは言うのです。
鶴太郎さんは30代後半であることから全てをなくし、孤独感、無力感、焦燥感にさいなわれていた時期がありました。ある早朝、庭に咲いていた椿の存在に気づくのですが、まさか自分が絵描きになるとは思っていなかったそうです。その日、早朝に気づいて椿を見たとき、心が引き込まれ椿の絵を描いてみたくなりそれがきっかけとなり、気づき、のめり込み自分を救うことにつながりました。調子がよくてイケイケのときは、そういうものに目が行かないものでそれがなければ、鶴太郎さんは椿の存在に気づかなかったそうです。
おカネがあって、大きな家があって、高級車に乗って、贅沢な料理を口にして、すてきな家族に囲まれてと、多くの人が信じる幸福像は、鶴太郎さん自身が楽しめるの幸福感ではなったそうです。そのことに気づかず、自分の心が本当に楽しめない生き方をすることで、不安になる。その不安を打ち消そうとすると、ますます不安になる。少なくとも鶴太郎さん自身はそだったと言っています。自分の心が本当に楽しめるその元は、自分の中に必ずあって、自分にしか気づくことはできません。もし小さな心の存在に気づいたら、周りの人を気にせず、水をやり、声をかけ、慈しんで育ててください。鶴太郎さんの大好きな言葉は、《汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり》だそうです。
まとめ
常に新しいことに挑戦し続けながら人生を楽しんでいる片岡鶴太郎さん。ボクサー、画家、インド政府公認ヨガインストラクターなど、彼の生き方に各方面から称賛の声が相次いでいます。現在62歳、進化を続けることが生きがいの彼のことですからインドヨガを極めたあとには更に何かにチャレンジする可能性も・・・果たして次は何を極めるのでしょうか?更なる進化にも期待をしてみたいところです。