忌野清志郎(いまわの きよしろう) の画像とプロフィール、名曲 「デイ・ドリーム・ビリーバー」に秘められた切ない真実について書いてみました。毎年5月2日は、大好きな音楽を通して「愛と平和」を訴え続けた日本のロック界を代表するロックンローラー、ザ・キング・オブ・ロックの異名を取った忌野清志郎(いまわの きよしろう)さんの命日にあたります。
普段は驚くほどシャイな人がステージに立つや、神がかりなパフォーマンスと心に響く歌で観客を魅了する天才ロッカー!
忌野清志郎(いまわの きよしろう) プロフィール
本名:栗原 清志(くりはら きよし)
別名:ボス
生年月日:1951年4月2日( 2009年5月2日/満58歳没)
出身地:東京都中野区
最終学歴:東京都立日野高等学校卒業
音楽のジャンル:ロック/R&B/ロックンロール/ブルース/ロック/フォーク・ロック/グラム・ロック/パンク・ロック
職業:シンガーソングライター/音楽プロデューサー/俳優
バンドの担当:ボーカル/ギター/ウクレレ/ハーモニカ
デビュー(活動期間):1970年 ~2009年
レーベル :東芝EMI/イーストワールド/ポリドール/ユニバーサルミュージック/SWIM RECORD/avex io/ワーナーミュージック
所属事務所: (有)ベイビィズ音楽出版
共同作業者 参加ユニット:井上陽水/仲井戸麗市/三宅伸治/ブロックヘッズ/スティーヴ・クロッパー
公式ウェブサイト:
経歴について
小学校時代は漫画が大好きで熱中し、「科学忍者隊ガッチャマン」や「ハクション大魔王」などのアニメ原作者である漫画家「吉田竜夫(よしだたつお)」氏に自作の漫画をたまに見てもらっていました。
実のお母さんが33歳の若さで亡くなった時、清志郎さんはまだ3歳でした。その後お母さんのお姉さん夫婦に引き取られ養子となります。
実はこのことが後に、セブンイレブンの店内やテレビのCMであなたもきっと聞いたことがあるあのメロディ、「デイ・ドリーム・ビリーバー」の歌詞へと繋がっていくことになります。
中学生になった時、世の中はベンチャーズなどのエレキギターブームの真っ最中でそれに刺激され、バンド「「No Name」を結成し音楽活動を開始、またその後到来したフォークソングブームにも刺激を受けバンド仲間と「The Clover」も結成しフォークソングも歌っていました。
当時の清志郎さんのバンドの特徴は、他の同級生たちがが結成していたコピーした曲を歌うバンドとは全く違い、ほぼオリジナル曲であり同級生達の憧れの存在でした。
「東京都立日野高等学校」に進学した高校時代は物静かだったようで、ただ学校にはあまり馴染めず、しっかりと計算はしつつ留年ギリギリになるまで学校を休んだり、授業をサボッて屋上でタバコを吸ったりの繰り返しでした。後の「トランジスタ・ラジオ」という楽曲の歌詞はここから来ています。
さらに高校時代では、クラシック音楽を含むほぼ全てのジャンルの音楽に関係する
サイケデリック・ミュージックが流行で「ザ・ビートルズ」や「ザ・バンド」を聞くかたわら、当時アメリカで「キング・オブ・ブギ」の名でも親しまれた偉大なブルースシンガー「ジョン・リー・フッカー」の曲に刺激され、ブルースにも興味をもち心酔します。
ちなみにこの時の同じ高校の同級生が俳優の三浦友和さんで、三浦さんも清四郎さんに刺激され密かに音楽のプロを目指していました。
高校時代の清四郎さんについて、同級生である三浦友和さんはこんなことを言っていました。
『彼は中学の時から本格的なバンド活動をしていて、演奏する曲はオリジナル。私たちのようなコピーバンドとは明らかに別次元でした。同級生ながら憧れの存在でしたね。』
『教室でゲリラライブをやったんです。生で歌を聞いたのは、そのときが初めてでした。「全部オリジナルなのか。アコースティックギターとベースだけ、マイクなしでこんなに迫力があるのか、凄いな」って驚きました。』
『僕は彼らと行動を共にしていました。忌野清志郎というとんでもない大天才がそばにいたんですけど、あまりにも近くにいてそのすごさにすぐには気が付かなかったんですよね。あいつができるんだから、おれにもできるなんて思ったりしてね(笑)』
『そのころ、彼が言った「才能のないヤツは大学へ行け!」という言葉に衝撃を受けて人生が変わっちゃったんですね』
出典:俳優 三浦友和さん | ゴールデンライフより
そして1968年、17歳の時「R.C.サクセション」を結成。高校3年生の後半にRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でプロデビューを果たします。
「忌野 清志郎」という名前について
苗字の「忌野」という芸名は、小さい頃に見ていた、当時フジテレビで5分間枠で放映していた「マイティ・ハーキュリー」というテレビアニメで、悪役が登場するシーンの、「あの忌まわしい鉄仮面!」というセリフを聞き「カッコイイ言葉だな」と感じそこからきています。
セブンイレブンで流れているあの曲「デイ・ドリーム・ビリーバー」のエピソード
セブンイレブンの店内やセブンのテレビCMで流れている「あの曲」、聞けばあなたも「あっ、あの曲・・・歌っているのは?あの人・・」と思うことと思います。
実は「あの曲」はセブンイレブンが採用する前からかつては大企業でもCMソングとして採用しているもの凄く有名な曲です。
例を挙げると、エースコックのカップラーメン「スーパーカップ」、サントリーのビール「モルツ」でも採用され、いつしかCMを通して「みんなが知っている曲」になっていました。
もともとこの曲は、1960年代アメリカのアイドルグループ、ザ・モンキーズが1967年にリリースした「デイドリーム」と言う楽曲のこの原曲のメロディに、忌野清志郎さんが日本語の歌詞をつけて作った曲です。
しかしその曲の歌詞には清志郎さんにまつわる深い深い物語が込められていたのです。
楽曲の中の歌詞で何度も繰り返されてるこのフレーズ
『もう今は 彼女はどこにもいない 朝早く目覚ましがなっても~♪』
これは、清志郎さんが3歳の時に33歳という若さで亡くなった実のお母さんへの切実な思いを綴りながらつくった曲でした。
育ててくれていたお母さん(実のお母さんの姉)が亡くなまで清志郎さんはこのことを知りませんでした。そしてそのお母さんが亡くなった時、それは本当は母の姉で、実のお母さんは清志郎さんが3歳の時既に亡くなっていたことを知らされます。
一度も会うことができなかった実のお母さんへの思いと、ずっと実のお母さんのように愛情を込めて育ててくれたもう一人のお母さんへの切ない思いを込めて作り上げた曲が今あなたの記憶にもずっと残る「デイ・ドリーム・ビリーバー」という曲です。
セブンイレブンの「あの曲」をなにげに耳にするあなたにも少しは違って聴こえるかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=x8PK6dPH14c
https://www.youtube.com/watch?v=AW4MiYudAJI