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笑福亭仁鶴の画像と経歴、80歳すぎても「生活笑百科」など第一線で活躍する芸人の素顔とは?

笑福亭仁鶴画像と経歴、80歳すぎても「生活笑百科」など第一線で活躍する芸人の素顔とは?について書いてみました。3代目笑福亭仁鶴さんは、ラジオ、テレビ、舞台、映画、CMなどタレントとしても幅広く活躍している、関西では超有名な落語家の一人です。

 

70年代、テレビやラジオで活躍するなか、「ヤングおー!おー!」からのオファーにより出演。ここから全国的に凄まじい知名度と人気を得る!!

 

笑福亭仁鶴のプロフィール

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名前:笑福亭仁鶴(しょうふくてい にかく)

本名 :岡本 武士(おかもと たけし)

生年月日 1937年1月28日(80歳)

出身地:大阪府大阪市生野区

血液型:O型

趣味/あれ、これ

紋/五枚笹

師匠: 6代目 笑福亭松鶴(しょうふくてい しょかく)1985年(昭和60年)、

入門年月日:1961年 (昭和36年) 4月1日、24歳の時「六代目、笑福亭松鶴(しょうふくてい しょかく)に弟子入り」

出囃子(でばやし): 猩々(しょうじょう)くずし/だんじり

※出囃子(でばやし)は、落語家が登場し、自分が演じる座(席)に着く時に流されてる音楽(BGM)のこと。

活動期間(デビュー): 1962年(昭和37年)25歳~

活動内容 :上方落語

配偶者: 岡本隆子(おかもと たかこ)※2017年6月2日死去(73歳)

所属 :よしもとクリエイティブ・エージェンシー

 

笑福亭仁鶴さんは、主に関西地方を中心に活動する上方落語協会会員の人気落語家で、吉1985年(昭和60年)本興業所属、また吉本興業特別顧問でもあります。

1985年(昭和60年)、48歳の時から現在でもNHKで放送されているバラエティ番組「バラエティー生活笑百科」では、ずっと司会者として現在までの32年間、一度も休むことなく務め上げてきますが、ただ2017年8月には、体調不良を訴え、32年間司会者として務めた番組を初めて欠席しましたが復帰後はその存在感は健在で周りをしっかり引っ張っています。

 

「ヤングおー!おー!」

笑福亭仁鶴さんは1960年代半ばから1970年代にかけてテレビやラジオで精力的に活躍していましたが、人気については、関西ではそこそあったものの、関東圏ではほとんど知られていませんでしたが、1969年(昭和44年)32歳の時から1982年(昭和57年)45歳まで全国ネットで放送されていた毎日放送制作の公開バラエティ番組、「ヤングおー!おー!」で、桂三枝(現:六代桂文枝)・明石家さんま・島田紳助・松本竜介等も務めた司会者として出演することにより全国的に一気に知名度と人気を得ることになります。当時の吉本興行の社長ですら仁鶴さんには頭が上がらなかったほどで、自分の息子以上に年齢が下の仁鶴さんを「さん」付けで呼んでいました。吉本興行の基礎は仁鶴さんが作ったとも言われ、6代目”桂文枝(桂三枝)”さん、”西川きよし”さんらと並ぶ吉本興行の大御所として現在でも君臨しています。