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佐藤琢磨の2017(インディ500)と経歴や家族、離婚の真相について

佐藤琢磨2017インディ500)と経歴や家族、離婚の真相について書いてみました。佐藤琢磨さんといえば、日本が誇る第一線で活躍するF1ドライバーで、つい先ほど佐藤琢磨さんが、アメリカ合衆国インディアナ州で行われた、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつであり世界最速の周回レースインディ500の決勝で優勝したとのニュースが飛び込んできました。

 

佐藤琢磨"インディ500"日本人で初の優勝!これは日本がワールドカップサッカーで優勝するに値する快挙!!

 

佐藤琢磨のプロフィール

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生年月日:1977年1月28日(40歳)
身長:164cm
体重:59kg
出身地:東京都新宿区
出身高校:和光学園高校
出身大学:早稲田大学人間科学部中退

自転車競技会でも有名で19歳まで大会等にでており「インターハイ 優勝」「インターカレッジ 第2位」「全日本学生選手権 優勝」の成績を残しています。

 

1996年19歳の時自動車レースの世界へ飛び込み、ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラカーを用いたレーシングスクール「鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)」に大学を休学し入校、、モータースポーツ歴わずか半年足らずで競争率10倍の難関を突破、日本で唯一ともいえる本格的フォーミュラ・ドライバー育成を目的とした「鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-Formula)」SRS-Fへ入学、1997、20歳の時年首席で卒業します。

 

2001年にはF3で日本人初のイギリスチャンピオンになり、2002~2008年までF1で大活躍しその後はインディーカーに参戦していました。

 

家族や離婚の真相は?

色々と調べてみましたが、佐藤琢磨さんの家族についての正確な情報はほとんど出てきませんでした。インターネットの情報では、

 元妻:ちはる

子供:2005年12月に男の子が生まれ、そして3年後の2008年9月に女の子が生まれています。二人は大学時代からお付き合いしておりいつしか同棲するようになりました。そして奥さんのちはるさんとは、2006年、今から11年前、佐藤琢磨さんが29歳の時に離婚して、離婚の原因に「エマ」という女性が係わっているという情報を見つけましたが、それが本当ならもう11年もたっていることと、それともうひとつ、佐藤琢磨さん自身の

公式ホームページやWikipedia、また報道などで家族の詳しいことや離婚についての正式な発表はされていないため、離婚の真相というよりも、離婚自体しているのか?していないのか?正確にはわかりません。佐藤琢磨さん現在はアメリカコロラド州デンバーに在住しています。

 

まとめ

19歳でカーレースに目覚め、20歳の頃から世界を視野にいれた活動をこなし20年間世界最速の世界に挑戦し続けてきた佐藤琢磨さん。これまでも日本には多くの優秀なF1ドライバーがいましたが、インディ500で優勝する日本人はこの20年間誰一人いませんでした。佐藤琢磨さんのこの快挙は実は本当に凄いことで、今日本ではサッカーの方がモータースポーツよりはるかに人気ですが、ワールドカップサッカーに例えるなら日本が決勝トーナメントで、メッシのいるアルゼンチンやネイマールのいるブラジル、そしてクリスティアーノ・ロナウドのいるポルトガルなどを完璧なまでに撃破して優勝する位に値します。本当におめでとうござます。今後の活躍にも、是非期待をしたいと思います

 

 

インディ500について

<概要>

インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催される。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4.023km)を200周、走行距離500マイル(804.672km)で争う。第1回開催は1911年。F1モナコGP(開催日程の都合上、近年はモナコGPと同日に開催されることが多い)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられる。


<世界最速の周回レース>

インディ500の周回平均速度は予選で225mph、決勝でも220mphを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中はもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。また、最高速度は380km/hに達する。これはF1の瞬間最高速度記録(372.4km/h)を上回り、これより速いカテゴリーはドラッグレース(NHRAトップフューエルクラスで520km/h超)のような非周回レースに限られる。33台のマシンがテール・トゥー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで競り合い、スリップストリームを駆使してオーバーテイクするアメリカンモータースポーツの典型とも言える展開が広がる。

<危険性>

速度域の高さや接戦の多さから、毎年事故が多発するレースとしても知られている。代表的な死亡事故には1964年のデイブ・マクドナルドとエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はインディ500死亡事故一覧(英語)を参照。

 

<伝統>

小さなサポートイベントなどを含めると約2週間にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」、初参戦のドライバーで最上位を獲得した者には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。

引用元: 

佐藤琢磨 - Wikipedia

 

日本人初のインディ500制覇

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170529-00126586-rcg-moto