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中島 春雄の画像とプロフィール、ミスター・ゴジラと言われた男の素顔について

中島 春雄画像プロフィールミスター・ゴジラと言われた男の素顔について書いて見ました。中島 春雄さんは当初は俳優でしたが、途中からは特撮映画のキャラクターとして初代ゴジラを演じるなど数多くの怪獣を演じる人として日本よりはむしろ海外にファンが沢山いる有名なスーツアクターの俳優さんです。

 

初代ゴジラをはじめ、昭和の怪獣たちに生命の息吹を与えたスーツアクターのレジェンド!!

 

中島 春雄のプロフィール

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名前:中島 春雄(なかじま はるお)

生年月日 :1929年1月1日(88歳)

※2017年8月死亡(88歳)

出生地 :山形県酒田市

身長 168cm

体重:-

職業 :スーツアクター・スタントマン・元俳優、

ジャンル( 劇映画):特撮映画・時代劇・現代劇・トーキー・テレビ映画

活動期間: 1947年(昭和22年)18歳~ 1973年(昭和48年)44歳

 

経歴


山形県酒田市で生まれた中島さんですが、実家は肉屋で、五人兄弟の三男。水泳・素潜りがとても得意で、水中でのゴジラの撮影の時にはこれが大いに生かされます。

1943年(昭和18年)、14歳。飛行機乗りになりたくて、山本五十六が設置した、日本海軍航空機に関する設計・実験、研究・調査・等を担当する機関である、海軍航空技術廠(かいぐんこうくうぎじゅつしょう)に入り養成員(予科錬)となりますが、16歳の時に終戦、青森県三沢市にあるアメリカ軍の物資輸送トラックの運転手となります。

その後アメリカ軍の仕が横浜に移ったため青森をでて横浜へ移住。18歳の時に「映画俳優学校」という新聞広告を見て俳優養成所に応募、東宝や新東宝などの映画撮影所に出入りするようになり、1950年(昭和25年)、21歳の時、俳優学校の講師からの誘いで東宝に入社、同期生には大俳優である「丹波哲郎」さんや「高倉みゆき」さん、またスーツアクターとして有名な「広瀬正一」さんらがいましたが当時はあまり役は回ってこなかったと言いますがめげずに続けた結果3年後に転機がやってきます。

 

1953年(昭和28年)、24歳の折に日本の戦争映画、ミッドウェー海戦での『太平洋の鷲』で出演したゼロ戦のパイロット役で、日本で初めて全身に火をつけてのファイヤースタントを演じます。当時の日本映画には、スタントマンという職業はまだなく、誰もやったことがなかった全身火だるまになる演技を自ら演じたことに監督が大絶賛『必ず君を覚えている!』といわれ、このことがキッカケとなり、1954年(昭和29年)、まだまだ無名だった25歳の時に日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』で、主役のゴジラにスーツアクター(ぬいぐるみ役者)として大抜擢されることとなります。以後18年間にわたり、ゴジラシリーズでゴジラを演じ「ゴジラ俳優」、またアメリカなどでは「ミスターゴジラ」として有名になります。

 

1作目から12作に渡りゴジラを演じる

1作目から12作に渡りゴジラを演じた中島さんですが、日本初である特殊撮影の怪獣(ゴジラ)の演技はそれまで誰もやったことがなく数々の努力がありました。

 

人間の約50倍もあるゴジラの動きをリアルなまでに動を生み出そうと、動物園に朝から晩まで行通いつめ、徹底的に研究、努力を重ねます。チンパンジーやサルはあまり参考にならず、像やカバ、キリンなど大型でユッタリ動く動物が大いに参考なったと言います。

 

またゴジラの着ぐるみスーツは100kgもあり、それを着て照明が当たると中は蒸し風呂、さらに動くと汗が噴出します。また、水中での撮影は朝から晩まで続き過酷な撮影だったようですが、しかし体調を崩して休む(ダウン)ようなことは12作品中1度ありませんでした。それは海軍で鍛えられた、一度自分がやりだしたことに「泣きこど」や「ごめんなさい」といった甘えは許されないと言うプロとしての魂がそうさせたのだと言います。またそうすることが映画を見る人にも満足してもらえ、それが自分の満足につながると中島さんはいいます。

 

中島春雄さんが演じたゴジラ全作品

1ゴジラ:1954年11月3日(25歳)

 

2:ゴジラの逆襲:1955年4月24日(26歳)

 

3:キングコング対ゴジラ:1962年8月11日(33歳)

 

4:モスラ対ゴジラ:1964年4月29日(35歳)

 

5:三大怪獣地球最大の決戦:1964年12月20日(35歳)

 

6:怪獣大戦争:1965年12月19日(36歳)

 

7:ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘:1966年12月17日(37歳)

 

8:怪獣島の決戦 ゴジラの息子:1967年12月16日(38歳)

 

9:怪獣総進撃:1968年8月1日(39歳)

 

10:ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃:1969年12月20日(39歳)

 

11:ゴジラ対ヘドラ:1971年7月24日(42歳)

 

12:地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン:1972年3月12日(43歳)

 

1971年(昭和46年)、42歳の時、東宝から専属契約解除を言い渡され、東宝撮影所脇の東宝経営のボウリング場に勤務しますが、特撮スタッフから「どうしても、中島さんじゃないとダメなんです・・・」の願いを受けて1972年3月12日、43歳の時『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』で最後のゴジラを演じスーツアクターを引退しました。

その後は、東宝経営の麻雀店の店長や、東宝共栄企業や東宝日曜大工センターで勤務するかたわら、アメリカでは「ミスター・ゴジラ」として講演会やイベントなどに招かれたりすることもあり、2011年(平成23年)82歳の時、アメリカ合衆国ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞、また2012年(平成24年)11月、83歳の時には、出身地である山形県酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞します。

 

中島 春雄インタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=I7xr3iivWP0

中島 春雄(海外メディア特集)

https://www.youtube.com/watch?v=_oBNEG8kLfQ&feature=youtu.be

 

まとめ

ゴジラ俳優としての知名度は日本より世界的で有名で、特に海外では「ミスター・ゴジラ」との愛称で親しまれ、主にアメリカのファンが多く、ゴジラや怪獣イベントなどでの講演依頼は引きも切らず行われていました。中島さんの演技がなければ、今のゴジラは存在しなかったといいます。

時代が移り変わり平成にも影響を残した昭和が生んだ名スーツアクアー、「ミスター・ゴジラ」。中島さん本当にありがとうございました。そしてご冥福を心からお祈りいたします。