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宮里藍の父、宮里優の画像と経歴 松山英樹を蘇らせた凄腕ティーチングプロの素顔とは?

宮里 藍の父宮里 優画像と経歴 松山英樹を蘇らせた凄腕ティーチングプロの素顔とは?について書いてみました。2017年シーズン限りでの女子プロゴルファー現役引退を発表した宮里 藍(31歳)さんですが、8月3日(木)より開幕する海外メジャー「全英リコー女子オープンゴルフ」に出場すべく、1日(火)に行われていたプロアマ戦の最中、宮里 藍さんの父親である宮里 優さんが急に体調を崩し救急搬送されたため、宮里藍さんはプロアマ戦を棄権したのですが、この日本が誇る女子プロゴルファー宮里藍さんを育てた凄腕ティーチングプロと言われる宮里 優さん。これまでどういう経歴をたどってきたのでしょうか?

 

無職の時沖縄の片隅で、一人独学で、手づくりで作りあげた「ゴルフ」が日本を、そして世界を席巻させた!

 

宮里 優のプロフィール

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名前:宮里 優 

本名:宮里 優(みやざと まさる)

生年月日:1946年(昭和21年)5月24日

出身地:沖縄県国頭郡東町(沖縄北部)

職業:ティーチングプロ(レッスンプロ)

 

略歴

沖縄県職員、東村教育委員会などに勤務。29歳でゴルフを始め独習、1982年(昭和57年)大京オープンに出場。40歳を過ぎティーチングプロ(レッスンプロ)に転向、子供であり現在プロゴルファーとして活躍する、

藍」・「聖志」・「優作」の3兄妹を世界で通用するゴルフのトッププレーヤーに育てます。現在、名護市の大北ゴルフ練習場を拠点としてジュニアを中心にレッスンや活動を行っています。

 

 

子供にゴルフを習わせるにはそうとうなお金が掛かるイメージがありますが、宮里 優(みやざと まさる)さんは『ゴルフは金持ちのスポーツではありません。うちでは藍が幼いころ、庭に芝を植え、夜になると明かりを灯して、家族で楽しみました。ゴルフが強くなるには、まずゴルフが好きになり、楽しむことを覚えるのが大切です』と語り、失職後貯金ゼロ、ギリギリの生活、自殺を考えた時期もあると言う過酷な状況の中3人の子供達を一流のプロゴルファーに育てあげました。そしてその親の期待に見事に応えたこの3兄弟、宮里親子の強い絆が伺えます。同じ兄弟で同じ環境で育てていても、性格は3人ともそれぞれ全く違っていたようですが、この子供達の長所を見抜き、伸ばし、世界で通用するトッププレイヤーへと開花させました。

 

貧乏のどん底からの再スタート

 宮里藍さんの父、優(まさる)さんは、元々沖縄県東村で県の教育委員会に務める職員で公務員の仕事していましたが、当時の村の行政の運営のやり方が村民のためになっておらず村の人たちから不満が続出。村政が停滞していた時、それに不満を持っていた若者達を中心とした村の人たちから頼み込まれ、子供達もまだ小さい頃でしたが、これからどんどんお金が掛かってくる45歳の時に公務員を辞め、1991年(平成3年)4月21日東村の村長選挙に立候補しますが、結果はほんの少しの票差で落選。

無職になってしまいます。しかも人口2000人に満たない狭い村を大き二つに分けての選挙であったため反対派から村八分にもあいますが、それからの宮崎家にはどん底の生活が待っていました。

公務員としての安定した収入を失ってしまった優(まさる)さんは沖縄県中を仕事を探して回りますが、敵対した政党のスポンサーだったゼネコンからの圧力や妨害などでなかなか定職につくことができませんでした。このとき、優(まさる)さんや3人の子供達を支えたのがお母さんの豊子さんで、豊子さんもまた公務員。

夕方仕事から戻り夕食を作りまた職場に戻る日もあったといいます。このギリギリの生活で、貯金もゼロ。うまくいかないジレンマと精神的にも追い詰められ自殺を考えたこともあるという優(まさる)さんでしたが苦しい中、家族を支えてくれていた妻の豊子さんや3人の子供達のために2年間の浪人生活を経て、独学で学び身につけたゴルフで練習場のレッスンプロとして再出発するまでになっていきます。
父の優(まさる)さんがゴルフのレッスンプロになると、当時3兄妹の中でも一番にゴルフが好きだった、娘の藍さんは自宅から30分以上も離れた、そのゴルフ練習場に休むことなく毎日通い、ゴルフに打ち込んでいきます。お母さんはピアノをさせたかったそうですが彼女は迷わずゴルフを選びます。

優(まさる)さんは、村長選挙に落選後、村の人たちからひどい仕打ちを受けるのですがそれをジッと我慢し、逆にそのハングリー精神がここまで優(まさる)さんを頑張らせますが、しかし自分達にひどい仕打ちをした村の人たちに対して、心のおくにはきっと恨みもあったはずの優(まさる)さんでしたが、一言もそれに対して文句を言ったことはなく、そんな苦労をした両親の姿を幼い頃から見てきた藍さんであり2人の兄だったからこそ「自分がなんとかするんだ」という強いハングリー精神が生まれ、世界に通用するプレイヤーにまで育ったといえます。

 

 

松山英樹を復活させる

2017年6月、全米オープン(ゴルフ)選手権に出場していた松山英樹プロは出だしからパットが決まらず不調にあえいでいました。しかし、ある日を堺に復活するのですが、そのきっかけになったのはパット練習でたまたま居合わせた宮里藍さんの父、優(まさる)さんから「グリップの握りで両手の甲と手のひらが互いに平行になるようにすると、まっすぐ打てる」というグリップについての助言だったといいます。松山プロはそれを参考にし、自分でも試行錯誤しながらやった結果翌日から別人のように見事復活パットが決まり出し、落ち込んでいたスコアが一気にあがります。

 

まとめ

病院へ緊急搬送された宮里 優(まさる)さんですが、藍さんは2017年のシーズン限りので引退を表明しており、おそらく最後の試合になると思われますが無事に回復して二人そろって試合会場に姿を見せて欲しいと思います。。