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マロニー2代目女社長の画像とプロフィール、なぜマロニーと呼ぶようになったのか?

マロニー2代目女社長画像とプロフィール、なぜマロニーと呼ぶようになったのか?について書いてみました。マロニーは女優の中村玉緒さんが「マロニーちゃん」と口ずさむテレビCMがお馴染みで、全国的にとても知名度の高いはるさめ食品です。そして今回マロニー株式会社を食品大手、巨大グループ企業であるハウス食品株式会社が買収するということが発表され話題になっています。

 

食に対するこだわり、安心、安全、美味しいは当たり前、決して妥協しない自信とこだわりの証として商品名を会社名にした!

 

マロニー2代目社長 河内幸枝のプロフィール

写真、河内幸枝マロニー社長

名前:河内幸枝(かわち・ゆきえ)

生年月日:1943年5月21日(74歳)

出身地:福岡県

職業:マロニー株式会社 代表取締役社長

マロニー入社:1984年(40歳の時)

 

マロニー株式会社との関わり

幸枝さん自身の入社は1984年(昭和59年)、ちょうど40歳のときでした。先代社長が後継者にと決めていた人が退社してしまい、その代わりでした。幸枝さんは3姉妹の長女だったので当時社長だった吉宗氏も、もともとは幸枝さんに継いでもらいたいという気持ちはあったそうですが、実は彼女は40歳になるまで専業主婦で一度も働いたことがなかったのですが、取締役部長という肩書きで就任。初めてのことにチャレンジすることは緊張感で体がすくんでしまうものだと身をもって経験した。と言っています。

1984年4月に初出社、当時はすでに100人を超える社員がいましたが河内さんは会社を目の前にして足がすくんでしまったそうです。入社当時の肩書は、総務部長。しかし、入社してから2年もの間、幸枝さんに仕事らしい仕事はほとんどありませんでした。それまで働いた経験すらないので、貸方、借方といった言葉すら、もちろん分かりません。次から次へと書類を引っ張り出しては、自分のノートに書きつけるうちに、会社というものがおぼろげながら見えてきてしばらくすると、社員の間から「“なんで”?の河内(かわち)さん」と呼ばれるほど、「なんでそうなるの?」「なんでそうしたいの?」と、社員をいつも質問攻めにするようになりました。しかしそれらは会社の業績やいい面、悪い面などあらゆる会社の書類に目を通しキッチリとノートに書き込みそれらを頭に全て叩き込んだ上での質問だったので、最初はいやな顔をしていた社員もだんだん前向きに、また具体的に答えてくれ、必要なところは改善案が出てくるようになりました。もう1つ、幸枝さんの“素人目線”が生きたのが、中村玉緒さんのテレビCM起用です。「なんとか東京での認知度を上げたい」と考えたのが、東京でテレビCMを流すことでした。ただ、予算の関係上、流せるのは1日1本程度。そこで「一度見たら忘れられないCMをつくろう」と選んだのが、中村玉緒さんでした。CMでは最初は「マロニーさん」だったそうですが、大阪では飴玉のことを「飴ちゃん」とか、ちゃんをつける風習がありたまたま中村玉緒さんが休憩のときに「マロニ~ちゃん」と口ずさんでいたのを幸枝さんが聞いており「これだ」と急遽「マロニーちゃん」になりました。このCMが大ヒット!マロニーの名が知れ渡り東京のみならず全国で販売されるようになるのです。

その後、社業を受け継ぎ、社長になってから21年目をむかえます。大阪での認知度は非常にたかったのですが東京では全く無名。東京での認知度あげるためにしかも限られた予算でCMをつくることになり、それまではCM出演がほとんどなかった中村玉緒さんをテレビCMに起用することを幸枝さんが決め、結果ここから全国で知られるようになり業績も右肩上がりで伸びていきました。

 

マロニー株式会社

「マロニー画像」の画像検索結果

商号:マロニー株式会社

本社・大阪支店
〒564-0035 大阪府吹田市中の島町2番26号
TEL 06(6381)2626(代) FAX 06(6381)8838

代表取締役社長:河内幸枝(かわち・ゆきえ)

事業内容:食品製造業

創業:1950年(昭和25年)9月17日

設立:1955年(昭和30年)3月25日

資本金:6000万円

従業員数162名 (2015年7月時点)

 

 

マロニー株式会社は現在の社長、河内幸枝(かわち・ゆきえ)氏の父であり、先代の社長でもあった河内義宗(かわちよしむね)氏が創業しました。

義宗氏は、もともと福岡県の山村の出身でしたが、1941年(昭和16年)妻の福代さんとともに満州へ移住、土木業が軌道に乗り始めた矢先、召集令状が届き、3度目の出兵。敗戦後はシベリアに抑留され、約3年にわたり、零下50度にもなる極寒の収容所生活を強いられることになります。マロニーという名前の由来はここから来るのですが、奇跡的に極寒の収容所生活から日本へ帰ることができた義宗氏はあきらめていた奥さんと幸枝さんを含めた3人の子供と再開を果たします。それから死に物狂いで働き、吉村商店という豆もやしの製造会社をはじめます。義宗氏のもともとの夢は、「お鍋に入れても煮崩れしない“はるさめ”」を作ることで、ジャガイモのでんぷんを原料にしてつくる新しい”はるさめ”でした。1962年(昭和37年)春から研究を始め、2年後の1964年(昭和39年)6月に第一号のマロニーが完成、販売します。しかし当時は全くと言っていいほど売れなかったそうですが、パッケージのデザインの変更などをし、1966年(昭和41年)ぐらいから急激に売れ始めるようになります。

 

 

マロニーという名前の由来

名前をつけた吉村氏は、「まろやかに煮えるから、マロニー」という単純な連想からつつけた名前だったのですが、もう一つ吉村氏にはどうしても忘れることのできない事実がありました。それは敗戦後遠く極寒の収容所での辛い生活の中で、シベリアの工場で一緒に働いていた一人のロシア人の娘を思い起こします。彼女の愛称は「マロン」。

とても愛らしい笑顔が印象的だった女の子で、誰にも別け隔てのない明るい性格の持ち主で、暗くてつらいシベリア生活のなかでも、彼女のまわりだけはいつも明るい光が満ちあふれていました…。「まろやかさ」と、このシベリア少女のイメージを重ね合わせて、吉村氏はこの画期的な”はるさめ”を「マロニー」と名づけました。

 

まとめ

1950年に創業し実に60年以上もの歴史のある小さな会社「マロニー」が、巨大グループ企業ハウス食品に買収されることとなりましたが、今度は巨大グループの力もかりて世の中にいい食品を送りだして欲しいと思います。