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桂歌丸、落語に捧げた仰天人生と若い時の意外な経歴について?

桂歌丸 落語に捧げた仰天人生と若い時の意外な経歴について書いてみました。桂歌丸師匠は毎週日曜夕方、午後5時30分から始まるあの国民的人気番組「笑点」ではお馴染みの顔でしたが、落語歴65年の芸歴を持つ日本を代表する落語家でもあり、さらに桂歌丸さんは落語をたくさんの方に知ってもらうために若い時から様々な活動にも取り組んできた、正しく落語界の正統派レジェンドともいえる人です。

 

落語は地方が熱い! 「真の笑いを提供し、落語家が腕をみがく道場となるのが寄席。各地方の寄席からそれぞれの名人が出てくるようになってもらいたい」・・・落語芸術協会、桂歌丸会長!!

 

桂歌丸のプロフィール

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出典:桂歌丸画像 - Google 検索

 

名前:桂 歌丸(かつら うたまる)

本名:椎名 巌(しいな いわお)

生年月日:1936年8月14日(81歳)

身長:165cm

体重:35kg前後(推定)

血液型:A型

職業:落語家・落語芸術協会、会長

趣味:釣り(川、湖)、切手収集、歌舞伎鑑賞 、化石コレクター、ジッポー集め

所属プロダクション:株式会社オフィスまめかな

出身中学校:横浜市立吉田中学校(神奈川県横浜市中区)

出身高校:横浜市立横浜商業高等学校定時制中退


桂歌丸師匠の経歴

父方の実家で育っていた桂歌丸師匠は、第二次世界大戦(太平洋戦争)の横浜空襲で、当時、父親のお母さん(祖母)が経営していたお店兼生まれ育った実家が焼失します。しかし気丈だった桂歌丸師匠の祖母(父親のお母さん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わるるとすぐに「お店」を建て直し経営を再開するというバリバリ気丈な女性でした。

 

お客さんを喜ばせたい!!そんな気丈な祖母を見て育った桂歌丸師匠は、実家が商売をやっていたことから、戦後食べるものがない貧しい時代だったにもかかわらず、食べるものに困ることなど一切なく、また、当時一般の人にはとても手が届かなった高価なラジオも桂歌丸師匠は持っていました。

 

実は小さい頃からこのラジオでよく聴いていたのが落語で、落語を聞くのが何よりの毎日の楽しみでした。

 

また、桂歌丸師匠が落語家を目指すきっかけになっていったのが、毎日、毎日聞くのが楽しくて仕方なかったラジオから流れてくるラジオ落語でした。

 

 

桂歌丸師匠は、「このラジオ落語に影響されたことが私が落語家を目指すきっかけになっていきました。」と、後にある番組そう語っています。

 

 

また桂歌丸さんは、よく祖母に連れられ、伊勢佐木町の大衆劇場『敷島座』で芝居の間に登場する漫才にも夢中になり、「《漫才師》になっていもいいかな~と考える一方で、「わがままな自分にとって、コンビで芸をするのとか、二人で演芸をするのはとても無理・・・」と思い、これも、漫才師ではなく”落語家を目指すきっかけの一つになっていきました。

 

小学校4年生の桂歌丸さんは、自分は将来は落語家になるんだともう決めており、自習が多かった体育の時間になると、たいてい自分が落語を演じ皆を笑わせます。実はこれがとても大好評で、たまに隣のクラスの先生から落語をやってくれないかとリクエストがあるくらい本格的落語でした。

 

1951年(昭和26年)、桂歌丸(15歳)、中学校3年生になると5代目古今亭今輔(ここんてい いますけ)さんに弟子入りし、「古今亭今児(ここんてい いまじ)」と名乗ります。

 

1964年(昭和39年)桂歌丸(28歳)の時に:正式に名前を「桂歌丸」に改名します。

 

1965年(昭和40年)桂歌丸(29歳)、「金曜夜席」大喜利メンバーとして初出演を果たします

 

1966年(昭和41年)桂歌丸(30歳)、「日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーとして出演。

 

1968年(昭和43年)桂歌丸(42歳)、真打に昇進 (落語界の身分で最も高く優れている身分のこと)。

 

1979年(昭和54年)桂歌丸(43歳)、文化庁芸術祭賞受賞。

 

1991年(平成3年)桂歌丸(55歳)、横浜文化賞受賞。

 

2004年(平成16年)桂歌丸(68歳)、落語芸術協会会長就任。

 

2005年(平成17年)桂歌丸(69歳)、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

2006年(平成18年)桂歌丸(70歳)、5代目「笑点」の司会に任命。

 

2007年(平成19年)桂歌丸(71歳)、旭日小緩賞受賞 (日本の勲章)。

 

2010年(平成22年)桂歌丸(74歳)、横浜にぎわい座の2代目館長に就任します。

 

たゆまぬ努力と研究に励む長い芸歴の中に、素晴らしい賞も受賞しています。

 

 

桂歌丸の若い頃

 桂歌丸さんは、裕福な家庭でおおらかに育てられ当時はとても高価な品物だったラジオも持っていて4歳の頃からラジオで落語をよく聞いていました。この頃から落語に興味を持ち始め、小学校4年生の時には「自分は絶対に落語家になりたい!」と決めており、よく先生からも頼まれて授業中に落語を演じ、これが大好評になり、時に隣のクラスの先生からも「今日は是非うちのクラスで落語をやってほしい」と頼まれることがよくあったそうです。

そして15歳になると、古今亭今輔(ここんてい いますけ)さんに弟子入りし、21歳で結婚します。小学校の時から落語を始め実力も相当ついていた桂歌丸さんでしたが、逆にそれが仇となり、慢心し、天狗になり、態度度も横柄になっていき、師匠ともコジレ、だんだんとお客さんが離れて行き、だんだん落語では生活ができなくなったことから、生きていくために友人の紹介でやむなく化粧品のセールスをやることになる桂歌丸さんでしたが、本人曰く《化粧品のセールスも同じ喋る商売だから良いでしょと勧められてやった時期もあったけど、落語とは全然違う。洗顔クリームとポマードを間違えたりめちゃくちゃだった・・・だんだん慣れてきてコツを覚えると団地でたくさん売ることができた。でも落語を」やっている時のような心が躍るようなことはなかった。・・・やっぱり俺には落語しかない・・・》

 

そう思えるようになり師匠にお詫びしもう一度落語界に復帰することができました。

 

この苦労した時期があったからこそ、それから数十年、桂歌丸さんは真打になっても低姿勢で、付き人にカバン持ちなど一切させず、徹底した謙虚を貫いてこられました。ある時一般のお客さんに「笑点ではただ座っているだけでいいね!」といわれた時など、「あれも楽じゃないんだよ~・・」と笑って握手を交わすなどファンを本当に大切にしています。落語には厳しい反面とても面倒見がよく、後輩の方々に慕われ、素晴らしいと尊敬され人間味あふれる落語界のレジェンド、桂歌丸師匠でした。