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板尾創路の画像と経歴、板尾創路はなぜお笑い芸人になったのか?

板尾創路画像と経歴、板尾創路はなぜお笑い芸人になったのか?について書いてみました。板尾創路さんはお笑いコンビ130Rでボケを担当していますが、さらに板尾創路さんは個性派俳優、映画監督としても活躍されています。2017年11月23日に公開される話題の映画《火花》の監督も務めており、今回この映画《火花》公開に向けたプロモーションの最中に手痛いビックなスクープをされこれまた話題になっています。

 

そのギャグは、スベッているのか?いないのか?理解し難いけど、つい笑いが出てしまう独特な存在感が光る!

 

板尾創路のプロフィール

「板尾創路画像」の画像検索結果

本名:板尾 創路(いたお いつじ)
ニックネーム:イッツジー
生年月日:1963年7月18日(54歳)
出身地:大阪府富田林市
血液型:A型
身長:177cm
最終学歴:東大阪大学柏原高等学校卒業
家族:妻(一般人)・子供(一人)
出身:吉本総合芸能学院(NSC)大阪校4期
コンビ名:130R(相方、ほんこん)
職業:漫才師・俳優・映画監督
芸風:漫才(ボケ担当)
立ち位置:左
所属プロダクション:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
同期:今田耕司、中山秀征

活動時期(デビュー):1985年(昭和60年)22歳~

 

 

独特な雰囲気が特徴の「板尾創路(いたお いつじ)」さん

お笑い芸人のほかにも、幅広い活動の場を持つ板尾創路(いたお いつじ)さんは、個性派俳優、映画監督としても活躍しています。

板尾創路(いたお いつじ)さんは、2011年10月15日公開の特撮映画『電人ザボーガー』に、”年をとっても落ちぶれても立ち上がるヒーロー”を熱演しました。板尾創路(いたお いつじ)さん48歳の時です。

板尾創路(いたお いつじ)さんのこの映画は、1970年代の特撮ヒーローを、板尾創路(いたお いつじ)さんが主演し、お笑いコント映画としての魅力を満載しリメイクされています。

 

 

第一部を70年代に人気を誇っていた特撮ヒーローの当時のチープ感と熱さを大切にしたリメイクバージョンで、第二部は、1970年代ヒーローに憧れて子供期を過ごした子供達が、大人になた時、自分はヒーローにはなれなくてただの大人にしかなれなかった人達に向けた悲哀を織り交ぜたどこかチープな、さらにちょっとボンクラなアクション映画の様相を呈しています。しかしそのままでは第二部がマジに暗すぎるものになると思った監督は「板尾創路(いたお いつじ)の”お笑い力”で突破する!!」と宣言。この、監督独特の手法を導入しこの映画を完成させました。

映画『電人ザボーガー』予告編(ディレクターズ・カット版) - YouTube

 

電人ザボーガー名場面Best10-スーパージョッキー(司会蓮舫) - YouTube

引用元:ユーチューブ

 

板尾創路(いたお いつじ)さんの「お笑い」への思い

 

板尾創路(いたお いつじ)さんが育ったのは大阪府 富田林市で、当時、板尾創路さんのお父さんは川柳教室を開いていました。

板尾創路(いたお いつじ)さんは、お父さんがやっていた川柳教室がなぜか好きで小さい頃から頻繁に出入りしています。小さい頃の板尾創路(いたお いつじ)さんは、とてもおとなしい子供で学級委員を小学校の時はしていました。

しかしこの後の板尾創路(いたお いつじ)さんは、当時の高校生はみんながハマっていた、バイクで走ることが何より楽しくて、周囲に溶け込んで周りを笑わせるなど全く別世界のことでむしろ少し冷めた感覚で周りを観察するほうが好きだった学生でした。

 

しかしその板尾創路(いたお いつじ)さんが、まさか”お笑い芸人”になっていたことに同級生はマジに驚いているといいます。

 

板尾創路(いたお いつじ)さんは、雑誌のインタビューに
「高校生の頃はいわゆるヤンキー(笑)。就職を早々に決め高校も何とか卒業しましたが、その会社には行かず、後に就職した会社も半年しかもちませんでした。会社員生活は窮屈で合わなかった」と語っています。

 

会社員生活のその後の板尾創路(いたお いつじ)さんの生活は、その当時アルバイトやフリーターという言葉もなかった時代で、若き板尾創路(いたお いつじ)青年が一番辛かった事は自分が本当にやりたいことが見つかってなかったことだでした。


そして板尾創路(いたお いつじ)さんは、「当時は悶々(もんもん)としていて、これだけは人に負けないというものがなかった。不安でもやりたいことを探し続ける気力はなく、その日暮らしをしていました」と当時を振り返って語っています。

 

しかしそんな状態の板尾創路(いたお いつじ)さんにある日、「自分はお笑いが唯一好きなんだな」と気づいたといいます。

 

「大阪育ちの自分には、お笑いは日常で当たり前。それが当たり前すぎて分からなかったんですね。それに自分みたいな普通の人間には芸人なんて絶対無理だと思い込んでいました。でも漫才ブームで、普通に自分の言葉や感覚で人を楽しませる人たちがカッコよく見え、自分でもやってみたくなったんです」と語る板尾創路(いたお いつじ)さん。

 


それに気づいた後の行動はホント敏速でした。21歳の時、憧れの芸人さんだった、島田 紳助(しまだ しんすけ)さんの自宅にケーキを持って押しかけて弟子入りをお願いするのですが、当時島田 紳助(しまだ しんすけ)さんには弟子が既にいて、しかしそのあまりの熱心さに島田 紳助(しまだ しんすけ)さんもとうとう根負けし仕方がないので板尾創路(いたお いつじ)さんを紳助さんが紹介するからと、吉本総合芸能学院へ入学することになりました。

 

やるなら余計なことは考えず思いっきりやるのが基本形!

 板尾創路(いたお いつじ)さんは、やるなら余計なことは考えず思いっきりやるのが基本形なのですが、しかし時には求められる役割を考え期待に応えることも必要だと考えていました。お笑い芸人を志した板尾創路(いたお いつじ)さんは、吉本総合芸能学院に4期生として入学します。1期生には今や人気も地位も大成功している先輩ダウンタウンの二人もいました。

 

「通い始めたら、他の生徒がみな自分よりもうまく見えてね。学校で思ったのは、がんばるかどうかより、才能の問題も大きいのかなと。僕は他に行く所がなかったのでマジ授業には真剣に出てはいたけど、それが何の役に立つかはさっぱり分かりませんでした」と板尾創路(いたお いつじ)さんは当時を振り返ります。

 

その後の板尾創路(いたお いつじ)さんは、数人とお笑いコンビを組んだ後、1986年に吉本総合芸能学院の同期だったの”ほんこん”さんと130Rを結成。そのギャグがスベッているのか?いないのか?常人には微妙に理解し難いシュールな笑いで人気が急成長していきます。

板尾創路(いたお いつじ)さん曰く「ほんこんさんとの出会いは大きかった。一気に自分のグレードが上がっていくのを感じました。若い時はお客さんに受けるとそれがすぐに自信となり勘違いもたくさんしたけど、人を笑わせる感覚が積み重なり楽しかったです」と語ります。

 

そして1990年代後半からの板尾創路(いたお いつじ)さんには、以外にも役者としてもオファーが相次いで入るようになり、次々とドラマや映画に出演。現在は独特な存在感を持つ俳優として活躍しています。

 


「お笑いは瞬発力が必要ですが、自分で考えて演じるから責任はみな自分にある。でも芝居はみんなで創るものなので、俳優は作品の中で歯車としてどう機能するか。使う筋肉が違う感じで、両方あるとバランスがいい。もともと役者としての本格的な勉強はしていないので、自分が求められる『違和感』みたいな雰囲気に応えようと、あまり創り込まずに臨むことが多いです」と板尾創路(いたお いつじ)さんは自分独自の俳優としてのポリシーを持っているのです。

 

 

”やりたいことがあるならは今やればいい”

独特の雰囲気とまたそれに似たような考えをもつ板尾創路(いたお いつじ)さんは、

「大事にしているのは、守りに入らず、後悔しないようにやることかな。せっかくなら新しいものを創り出し、見たことのないようなものを発信したい。それが空振りになるかホームランになるかは分からなくても、常にバットは思い切り振る。でないと、たまたま当たっても遠くまで飛ばないですから。特に最近、人間はいつ何があるか分からないから、どうせ食べるなら今食べたいものを食べ、やりたいことは今やればいいと思うようになりました。僕は、世の中は適材適所、どんな人にでも居場所があると思っている。無駄なやつなんて一人もいない。だから一つでいいから、自分にしかできないことを見つけるとええんじゃないかな」という考えももちあわせ日々の仕事やプライベートを生きており、今回の不倫騒動はこうした考えにちょっとだけ油断があったのかもしれません。


芸人なっていなければ、どんな仕事についていた?

今の仕事についていなかったらどんなお仕事をされていたと思いますか?という雑誌のインタビューに板尾創路(いたお いつじ)さんは、

「あまり想像つかないですね。でも大型自動車の運転免許を持っているから、トラックの運転手でもやっていたかもしれません」と答えます。また板尾創路(いたお いつじ)さんの「勝負・・・」は何ですか?という質問には、勝負?それは「遅刻」です。と回答します。

「映画や舞台の初日など、実はわざとちょっと遅刻していくんです。それぐらいでちょうどいいんですよ(笑)。みなばたばたしているし、あんまり早く行ってもすることがないし。でももちろん、間に合わない時間まで遅くなったりはしないですよ」とここでも独特の考えが爆発していました。

 

まとめ

グラビアアイドルとの問題行動で手痛いスクープを食らってしまった板尾創路さんですが、まさしく、11月23日に迫った話題の映画「火花」の公開を控えている今「板尾創路」監督のちょっと油断した火遊びが、大きなネット上では不祥事問題へと発展、違う「火花」を撒き散らしているかのようですが果たしてどうなることやら?まだまだめが離せない板尾創路さんでした。