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稲田朋美防衛相の画像と経歴、失言続きで辞任は当然?その素顔について追ってみた

稲田朋美防衛相の画像と経歴失言続きで辞任は当然?その素顔について書いてみました。稲田朋美防衛相といえば連日必ずと言ってもいいほど安部政権関連のニュースでは何かと話題になって登場しており、ある意味、「誰もが知っている有名な人物」と言っても過言ではないと思います。しかしその稲田朋美防衛相、とうとう辞任の意向を固めたというニュースが飛び込んできました。

 

政治家として無能などでは決してなく、むしろ優秀であり安倍総理の「秘蔵っ子」、後継者、また初の女性総理も・・と言われていた稲田朋美防衛大臣。彼女自身にも至らない所があったのは事実だが必要以上に「稲田叩き」とまで言われ、彼女を恐れまくしたてたマスコミと民進党

 

稲田朋美のプロフィール

「稲田朋美画像」の画像検索結果

名前:稲田 朋美(いなだ ともみ)、(旧姓:椿原 朋美)

生年月日 :1959年2月20日(58歳)

出生地 :福井県越前市

最終学歴:早稲田大学法学部卒業

所属政党 :自由民主党(細田派)

称号 :弁護士・税理士・法学士(早稲田大学・1981年)

<公式サイト>

http://www.inada-tomomi.com/

<稲田 朋美のブログ>

https://ameblo.jp/inada-tomomi/

 

メガネと網タイツがトレードマークのおしゃれな政治家として活躍し、現在何かと話題になっている稲田朋美さん。そんな「稲田 朋美」議員の家族構成は、資産家である弁護士の夫と娘、息子の4人家族です。

早稲田大学法学部在学中に司法試験に合格し、卒業後弁護士になります。そしてサークルの飲み会で知り合った現在の夫である弁護士の「稲田 龍示」氏と結婚したのが1989年、稲田朋美さんが30歳の時になりますが、結婚後子供ができたのをキッカケに弁護士は辞めてしまいます。その後、政治にはほとんど関心がなかった稲田朋美さんでしたが、ある講演会で稲田さんの公演を聞いていた当時自民党の幹事長代行だった安倍晋三氏(現在、総理)にスカウトされ政治家に転向、2005年9月に行われた”第44回衆議院議員総選挙”に出馬、44歳で初当選を果たします。

 

なぜ政治家になったのか?

早稲田大学法学部在学中である1970年代も後半に差しかかるころの日本経済は、男性と女性が平等に就職にチャレンジできるとする雇用機会均等法も無く特に女性には就職先がほとんど無かったために、弁護士になろうと難関だった司法試験を受けようと考え、1日約16時間猛勉強をして司法試験に臨み見事合格、それから5年間、ある法律事務所の雇われ弁護士として活躍していくのですが、出産を機に退職します。

その頃、『産経新聞』と産業経済新聞社が発行している月刊誌『正論』を読んでいた稲田朋美さんは、弁護士としての観点からも「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか・・・」等など、雑誌社への投稿をたびたびするようになっていきます。

その後、論客であり弁護士でもあった「高池勝彦」氏から電話で、虚偽、でっち上げが多数ある「南京事件について、いっしょに裁判をやらないか」と声をかけられます。

稲田さん自身はその時の心境をこう語ります。「現在の毎日新聞(当時、東京日日新聞)が戦時中、日本の国民に対し、戦争への意識を強く持たせるために書いたとされるプロパガンダとも言えるでっち上げ記事、【南京事件の際の「百人斬り競争」】のみを唯一の証拠にし、戦後南京の軍事裁判でBC級戦犯としてこの【南京事件の際の「百人斬り競争」】〔中国人百人(以上)を競争しながら切ったと新聞に書かれた「野田毅少尉」と「向井敏明少尉」の2人が、中国人の弁護士が「彼ら二人は無実」との意見書(弁護)を出したにもかかわらず死刑の判決を下され処刑されたことに対し稲田氏『まったく嘘のでっち上げのことであり、私達の祖国である日本の名誉を傷つけるような(嘘の)ことが教科書でも教えられ、これが本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思った』と述べていました。

その裁判の最終弁論の日、無実のまま処刑されたとする”向井少尉”の次女である向井千恵子さんと出会い、新聞社とひとりで戦っている彼女の姿を見た稲田さんは感銘を受け、この出会いがきっかけとなり”野田少尉”と”向井少尉”の遺族が『毎日新聞』『朝日新聞』そして、日本軍による「南京大虐殺」の証拠として使ってきた写真を、嘘の写真を使い実は捏造していたジャーナリストの本多勝一氏らを相手取り、名誉毀損の裁判を起こすことになります。

稲田さんは『私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんです』とインタビューに答えています。

当時小泉政権下で郵政解散が行われる2週間ほど前に、自民党本部で、戦後「野田毅少尉」と「向井敏明少尉」が無実の罪で処刑された【「百人斬り競争」はでっち上げである】という内容の講演を稲田さんがしているのを、当時、自民党幹事長代理であった安倍晋三(現、総理)の目に留まり、熱烈にスカウト。稲田朋美氏の政治家への道がこの時から始まったのです。

 

 

まとめ

何かと問題発言が多発しマスコミの格好の的としまっていた稲田朋美防衛相ですが、本来の彼女は日本をこよなく愛し、強靭な日本人としてのアイデンティティを持ち、日本をとにかく良くしたいと常々考えている政治家であるはず。不慣れな職責を実力を発揮できないまま去ることとなるようですが、このまま終わる彼女ではなく是非日本の政治家としてその実力を今一度発揮し頑張って欲しいと思います。