あなたの知りたい情報局

来て頂いた方の役に立つ、様々なジャンルの情報を配信しています!

藤田 倭の経歴とプロフィール、大谷翔平に匹敵する驚異的二刀流はどうやって始まったのか?

藤田 倭経歴プロフィール、大谷翔平に匹敵する驚異的二刀流はどうやって始まったのか?について書いてみました。日本の女子ソフトボールの代表的ピッチャーと言えば、上野由岐子投手がエースとして有名ですがここに来て、女子ソフトボール界に藤田 倭という凄いピッチャーがが現れ話題になっています。

 

急速はプロ野球で言うと体感160kmをマークする、大谷翔平投手に匹敵する威力!!

 

藤田倭のプロフィール

f:id:mro74277:20171112200318p:plain

画像引用元:藤田倭画像 - Google 検索

 

名前:藤田倭(ふじたやまと)

生年月日:1990年12月18日(26歳)

ニックネーム:やま、やまと

出身地:大阪府

身長:165センチ

趣味:カメラ、自転車

好きな歌手:ワンオクロック

好きな食べ物:ラーメン

 

職業:会社員(太陽誘電株式会社)

※太陽誘電株式会社は、受動電子部品を主とした日本の大手”電気機器製造会社”で本社は東京、自社工場を工場は群馬県高崎市などに持っている会社です。

ホームページ:

TAIYO YUDEN CO., LTD.

所属:太陽誘電女子ソフトボール部

ポジション:投手

投打:右投げ右打ち

最高球速:時速111km

 

藤田倭(ふじたやまと)の経歴

藤田倭(ふじたやまと)選手は、大阪府出身でその後家族で長崎県佐世保市へ移住。3つ上の兄の影響で5歳からソフトボールを始めます。そして佐世保市にある市立崎辺中学校に在学している時から藤田倭(ふじたやまと)選手はソフトボール選手としての頭角を現してきます。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は、小さい頃から体格がよく、外で遊ぶことが大好きでさらにスポーツが万能でした。ソフトバールも、始めて間もない頃から藤田倭(ふじたやまと)選手はその実力を発揮、投球に関しても中学生とは思えないようなスピードボールを投げていて、藤田倭(ふじたやまと)選手のそのあまりに素晴らしい身体能力、バランスや野球(ソフトバール)センスのよさに、高等学校ソフトボールでは全国高校総体で優勝の実力をもつ名門、佐賀女子短期大学付属佐賀女子高校から名指しでスカウトされて入学します。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は高校在学中の3年間で計5度の全国大会に出場し、エースとして活躍。1年生の時に高校総体で、2年生の時は国体でそれぞれ優勝を果たしています。

また藤田倭(ふじたやまと)選手は高校卒業後大学には進まず、群馬県高崎市を拠点とする日本女子ソフトボールリーグ1部に所属する女子ソフトボールチームで、チームの愛称は「太陽誘電ソルフィーユ」というソフトボールチームを持つ大手電気機器製造会社である、太陽誘電に入社します。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手が所属する太陽誘電女子ソフトボール部(太陽誘電ソルフィーユ)は、合計33回の優勝経験のある超強豪チームで同じ高崎市を本拠地とするビックカメラ高崎に次いで2番目に優勝が多いチームです。

藤田倭(ふじたやまと)選手は社会人として入社したその年に早速その実力を発揮、新人王を獲得するなど新人とは思えないような大活躍をします。

そして藤田倭(ふじたやまと)選手はその素晴らしい活躍が認められ、2012年(平成24年)からは日本代表に選出されるようになりました。

 

藤田倭(ふじたやまと)選手、日本代表歴

2012年: カナディアンオープン・世界選手権

 

2014年 :第9回 ワールドカップ・ カナディアンオープン・ 大垣国際カップ・ 世界選手権・ 第17回アジア大会

 

2015年: 日本U24-A代表・ 第10回 ワールドカップ・カナディアンオープン・ジャパンカップ

 

2016年: 日本U24-A代表・ Down Under Series ・日米対抗・ 第11回 ワールドカップ・ 世界選手権・ ジャパンカップ

 

2017年: 日本代表強化指定選手・第6回 東アジアカップ・日米対抗・第12回 USワールドカップ・カナダカップ

 

 

監督が見出した藤田倭(ふじたやまと)の二刀流

太陽誘電ソフトボール部の山路典子監督は、藤田倭(ふじたやまと)選手のバッティング練習を初めて見たとき、この選手の驚異的パワーはいったいどこから来るのか?と驚きを隠せなかったと言います。

 

思い切りのいいスイング、遠くに球を飛ばすことができる圧倒的パワー、投手としての素質のほかに打者としても可能性を感じ、入社後すぐに”二刀流”を勧めたのです。

 

しかし藤田倭(ふじたやまと)選手は、最初はその提案を素直に受け入れていたのですが、二刀流を始めた3年目に「ピッチングに専念したい」と二刀流を拒否するようになりました。それは先発投手としてなかなか定着できず、日本リーグでのピッチングでは2年間でわずか1勝しかできていなかったからで、ピッチャーとして登板しても敗戦処理に回る悔しい日々が延々と続いていたからでした。

 

しかしそれでも太陽誘電ソフトボール部の山路典子監督は、藤田倭(ふじたやまと)選手の二刀流を辞めさせませんでした。それは、「ピッチングとバッティングは下半身の使い方など似ている部分も多い。打撃センスにたけた彼女なら、タイミングさえ合えばできるはず」と、藤田 倭(ふじたやまと)選手は自分が信頼する山路典子監督の強い思いに根負けし、2014年(平成26年)に女子ソフトバールでは誰も挑戦していない二刀流への完成にチャレンジしていきます。

 

そしてその後、ある時打席にたった、藤田 倭(ふじたやまと)選手は、

 

「自分だったら今の場面でこんな球を投げる」

 

「キャッチャーは今このサインを出しているのかな」

 

等、ピッチャーの心理を考えながら打席に立つようになり、ほかのバッターが本来考えもしない自分のメリットに気付き始めます。

 

またピッチャーとして投げている時には、打者の心理も考えれるようになり、その年にはピッチャーとして初めて最多の勝利に輝きました。

 

しかしピッチャーとバッターの両方の心理がわかる反面、バッティングの調子が悪いとマウンドまで引きずってしまい、考え込み、自身の感情を抑えることができないときには、思うようにピッチングが定まらず勝てない時もあったのですが、「2017年になってからようやく慣れるようになり自分の気持ちの切り替えがスムーズにてをきるようになりました」と藤田倭(ふじたやまと)選手はあるインタビューで答えていました。

 

まとめ

 

藤田倭(ふじたやまと)選手は「他の選手のように細かい技術は持たないから」と 今でも打者としての理想像はないと言いますが、しかしそれでも少ない練習時間の中で1球1球と向き合い、日本代表として指導も受けながら、打たれたら打ち返す、自分にしかできない打撃の楽しさに目覚め始めていると言います。2020年の東京オリンピックでソフトボールは、3大会ぶりに復活が決まっています。藤田倭(ふじたやまと)選手が投打に大活躍し是非とも日本の女子ソフトボールに金メダルを獲得してくれることを期待したいと思います。