大谷翔平が契約するエンゼルスとは?なぜエンゼルスを選んだか?エンゼルス球団について書いて見ました。
日本ハムからポスティングシステムを使ってアメリカ大リーグへの移籍を目指していた日本ハムの大谷翔平投手ですが、大谷翔平投手の代理人である、ネズ・バレロ氏が大谷翔平投手の契約する球団が「ロスアンゼルス・エンゼルス」に決定したと発表しました。
数多くの球団との対話の中、大谷投手は選手としての成績や年棒よりも夢だった「二刀流を完成させる!」というゴールを最も重要視していた!
大谷翔平のプロフィール
本名:大谷翔平(おおたに しょうへい)
国籍:日本
出身地:岩手県・奥州市(おうしゅうし)
生年月日:1994年7月5日(23歳)
身長:193 cm
体重:97 kg
血液型:B型
選手情報
投球:右投
打席:左打
ポジション:投手、外野手
プロ入り:2012年 ドラフト1位(日本ハムファイターズ)
初出場:2013年3月29日
年俸:2億7,000万円(2017年)[1]
経歴:
・花巻東高等学校
・北海道日本ハムファイターズ (2013年~2017年)
・ロサンゼルス・エンゼルス(2018年~)
・国際大会:
代表チーム/プレミア12 2015年
・国際大会(代表チーム)
世界野球WBSCプレミア12( 2015年11月8日~21日)
※U12、U15、U18、U21のトップが出場するWBSC主催大会やWBSCの認定を受けたその上位12ヵ国に出場権が付与される、国全体の野球力(野球国力)No.1決定戦。大谷選手が出場した2015年大会は記念すべき第1回大会。
メジャーリーグのシステムについて
アメリカのメジャーリーグは、日本のプロ野球と同じ2リーグ制になっていて、日本のセントラルリーグ(セリーグ)とパシフィックリーグ(パリーグ)のようになっています。
アメリカメジャーリーグでは、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)とアメリカンリーグ(ア・リーグ)の2リーグになります。
大谷翔平投手が契約する「ロスアンゼルス・エンゼルス」を含めたアメリカのメジャーリーグは、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)とアメリカンリーグ(ア・リーグ)それぞれのリーグが15チームずつ在籍しています。
さらにそのナショナルリーグ(ナ・リーグ)とアメリカンリーグ(ア・リーグ)それぞれのリーグで西地区・中地区・東地区で5チームずつに分かれています。
整理すると、
アメリカンリーグ(ア・リーグ)が、西地区・中地区・東地区の3つの地区でそれぞれ5チームなので計15チーム。
ナショナルリーグ(ナ・リーグ)も西地区・中地区・東地区の3つの地区でそれぞれ5チームなので計15チーム。
大谷翔平投手が契約する「ロスアンゼルス・エンゼルス」を含めたアメリカのメジャーリーグは、あわせて、全30チームで構成されています。
現役の日本人メジャーリーガー[2017年現在]
・青木宣親:ニューヨーク・メッツ(2017年~)
・イチロー:マイアミ・マーリンズ(2015年~)
・岩隈久志:シアトル・マリナーズ(2012年~)
・上原浩治:シカゴ・カブス(2017年~)
・田澤純一(たざわ じゅんいち):マイアミ・マーリンズ(2017年~)
・田中将大(たなかまさひろ):ニューヨーク・ヤンキース(2014年~)
・ダルビッシュ有:ロサンゼルス・ドジャース(2017年~)
前田健太:ロサンゼルス・ドジャース(2016年~)
ロサンゼルス・エンゼルス
正式名称:ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(LAA)
Los Angeles Angels of Anaheim
創設:1961年(昭和36年)
リーグ所属:アメリカンリーグ(ア・リーグ)西地区
基本情報
本拠地 :エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム
略号 :LAA
優勝回数
・ワールドシリーズ 1回
・リーグ優勝 1回
・地区優勝 8回
・ワイルドカード 1回
経歴
・ロサンゼルス・エンゼルス(1961年~1965年)
・カリフォルニア・エンゼルス(1966年~1996年
・アナハイム・エンゼルス(1997年~2004年)
・ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(2005年~)
プロ野球球団テンプレート
概要
1961年(昭和36年)にアメリカンリーグの球団数拡張によって誕生した球団で、球団名の由来は、ロサンゼルスと言うの地名から「天使たち=the angels(ザ・エンジェルス)」から由来。
本拠地はロサンゼルスの郊外・アナハイム市に球場を持ち、
一時期、ディズニーランドでも有名なウォルト・ディズニー社が経営に携わり、2002年にワールドシリーズを制した際には、優勝パレードが地元アナハイムのディズニーランドで行われています。
本拠地である「エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム」は、現在アメリカンリーグでは最も古い球場で、「ラリー・モンキー」と呼ばれる猿が球状に、訪れるファンの名物になっています。
2003年から2009年までは地区優勝を4回果たすなど、この頃が黄金時代でした。
日本人ではかつて、オリックス・ブルーウェーブから移籍した長谷川滋利(はせがわしげとし)投手、読売ジャイアンツから松井秀喜選手、同じく読売ジャイアンツから移籍した高橋尚成(たかはし ひさのり)投手らが所属していました。
※ラリー・モンキー
本拠地のエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムではラリー・モンキーと呼ばれる電光掲示板に映し出される猿が人気を集め、直訳すると「逆転猿」という意味で、ラリー・モンキーは6回以降チームが負けているか、同点の時のみ現れます。
そのことを「ラリー・タイム」と呼び、スコアボードの電光掲示板の大画面にラリー・モンキーの跳ね回る姿が映し出され、2000年頃からこの猿が登場し、不思議とチームも逆転勝利を収めるようになったことから、ラリー・モンキーと名づけられ、現在では球場の名物として定着しています。
2003年から2009年まで地区優勝を4回果たすなど、この頃が黄金時代で、
また、日本人選手ではかつて、オリックス・ブルーウェーブから、長谷川滋利(はせがわしげとし)投手、読売ジャイアンツから松井秀喜選手、同じく読売ジャイアンツから高橋尚成(たかはし ひさのり)投手らが所属していました。
まとめ
今から約100年程前、アメリカのメジャーリーグでは、大谷翔平選手よりも先に二刀流で「アメリカ球界最大の巨人の1人」と語り継がれ、また 「野球の神様」としてアメリカ合衆国の国民の間ではヒーローでもあるベーブルースという偉大な選手が存在していました。そして100年たった今アメリカで、日本の大谷翔平投手が「日本のベーブルース」と呼ばれ注目が集まっています。2018年シーズンからメジャーリーグでプレーする大谷翔平選手は、「ベーブルース」になれるか?メジャーリーグ史に残る日本の若き侍大谷翔平がチャレンジする現代の二刀流。はたして完成するか。2018年のメジャーリーグが楽しみです。