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紗栄子と前沢友作社長、紗栄子がなぜモテるのか?モテる女の驚きの事実とは?

紗栄子前沢友作社長紗栄子がなぜモテるのか?モテる女の驚きの事実とは? について書いてみました。結婚間近と言われていた 前沢社長との破局が報じられている紗栄子さんですが、離婚したダルビッシュ投手も含め彼女に対するマスコミ各社からの交際報道が世間に出る度に、批判や特に女性からの強烈なバッシングにさらされることが多々ある紗栄子さんですが、2児の母でありながらも何かと恋愛報道では話題に上がり今でもモテモテの紗栄子さん。いったい何故モテるのでしょうか?それには驚きの理由があると言うのです。

 

誰にでも平等に優しく「俺でも行けるんじゃないか・・・」とそう思わせる天才!

 

紗栄子のプロフィール

名前:紗栄子(さえこ)

本名:道休紗栄子(どうきゅう さえこ)

生年月日1986年11月16日(30歳)

出生地: 宮崎県、宮崎市

身長: 157 cm

血液型O型

趣味・特技:ダンス、ネイル

職業:タレント・女優・モデル
所属プロダクション:エイベックス・ヴァンガード

ジャンル:舞台・映画・テレビドラマ

デビュー:2001年(平成13年)15歳~

家族:長男・次男

配偶者:ダルビッシュ有(2007年~2012年)

学歴: 堀越高等学校卒業

オフィシャルブログ

http://ameblo.jp/saeko-doll/

ツイッター

https://twitter.com/saekoofficial?lang=ja

 

デビューのきっかけ

小さい頃お母さんから宝塚の舞台を観に連れて行ったもらっていたことから「宝塚に入りたい」と思っていたのですが、身長が伸びずオーディションを受けられないと分かったときにお母さんが、住んでいた宮崎から東京まで宝塚とは別の舞台を観に連れて行ってくれ、「こういった仕事があるんだ・・・」と知り自分で事務所へ履歴書を送り、オーディションを受けました。

小さい頃からクラシックバレーを習い、スポットライトを浴びて舞台に立つ楽しさを知ってから、将来そういった方向に進めたらいいなと思っており、また目立ったことをするのが好きでそれが、楽しく「当時は芸能界もその延長だったのかなぁ・・・」と後に彼女はある雑誌のインタビューで語っています。
オーディションに合格したのは中学校2年生(14歳)のときで、それからはまとまった休みの度に東京の所属したプロダクションへ行き、1年間デビューのためのレッスンを受けに通います。その後、プロダクションから「高校入学のタイミングで東京へ出てきてはどうですか?」と提案され、15歳で東京へ移住、本格的に芸能界で活動を始めます。紗栄子さんは大きなオーディションで一発合格して、”いきなりスターでデビュー!”という道を歩んだ訳ではなく、地道な努力を積み重ね序々に段階を踏んで現在に至っている、ある意味しっかりとした下地のあるタレントであるとも言えます。

 

モテる女の立ち振る舞い

紗栄子さんがモテる理由について、南海キャンディーズの山里亮太氏こと山チャンは、”彼女は誰にでも平等に優しい”といいます。それは、山ちゃんが大物芸能人と出演していたある番組のロケで、その大先輩である大物芸能人にすっかり萎縮してしまい予定していた大リアクションの突っ込みがほとんどできず落ち込んでいたところ、カメラが止まったところで紗栄子さんが近距離まで歩み寄ってきて「さっきの言い回し本当に面白かったですね」と、優しくフォローしてくれ、、しかも自分だけではなく当日のタッフにも本当に平等に優しく接してくれた一面を目の当たりにし、その時々での気遣いがハンパなく凄く、空気を読む能力も抜群で、まさに”神的”といえるくらい感激したといいます。

 

金持ちにモテる理由

紗栄子さんの交際相手は経済力がかなり高い男性が多くお金目当てなのでは?と批判されることも実際多いのですがネット上では「特別に美人というわけでもスタイルがいいわけでもないのに、どうやって金持ちの男を落としているのか気になる」、しかも離婚後も途切れることなく・・・。何故でしょう?

 

得意分野がカギ!自分がどの層にウケるのか?

ネット上では「紗栄子に学ぶ”金持ちを落とす”成功の秘訣」や「シングルマザーがマネしたい紗栄子の魅力 」、など 彼女を支持するファンも多数いることも事実で彼女の生き方には見習うところがたくさんあると言います。二児の母でありながらモテる理由?

それは彼女の”得意分野”にありました。彼女の強みは"自分がウケる層"を熟知していることにあります。自分のことをキチンと理解していると言う事は恋愛において最も重要なポイントですが、紗栄子さんは、生まれも育ちもいい所出のハイスペックな御曹司は狙わず、庶民の生まれで自分の実力でのし上がってきた野心家タイプの人が、自分の“得意分野”であることを十分知っているのです。


とにかく聞き上手

 紗栄子さんのことを良く知る友人達は男性女性を全員口を揃えて「彼女といると楽しい!」と語ります。特に男性と2人で飲むときはいつもカウンター席に座り、自分はあまりしゃべらず相手の話をよく聞いてあげています。聞き上手で相手の話を「うんうん」、と聞いてくれているので、ずっと話をしていたくなるそうです

 

媚びない姿勢

紗栄子さんは自分の意見をハッキリと言える人で、物事を真正面からズバズバ言う「媚びない姿勢」を持っており、相手が有名人であろうが、大金持ちであろうがセレブであろうと、臆することなくズバズバと物を言い、周りがイエスマンだらけになりがちな叩き上げの経営者ほど、紗栄子さんと接すると逆にそれが新鮮で魅力的に映るようです。

 

 

経済的自立

 紗栄子さんのことを「またお金目当てだ」とよくネットで書かれていますが、彼女自身、経済的には自立しているので、その理由で男性を選んでいるわけではく、実際ネットやファッションの仕事も含め彼女の今の年収は数億を超えているともいわれています。自立した経済力と媚びない姿勢。これこそ紗栄子さんが金持ちにモテる秘訣なのではないでしょうか・・・。


まとめ

離婚後も多くの恋愛報道が絶えない紗栄子さんですが、自立した女性として、バッシングも気にせず自分らしく生きるその姿勢に、男性が唯一無二の魅力を感じるのは不思議ではないのかもしれません。現在、アメリカンスクールに通っている長男(9)と次男(7)がロンドンに留学するために今秋から生活拠点をイギリスのロンドンに置き住まいを構える紗栄子さん。次の恋愛は如何に?注目が集まるところです。

中島 春雄の画像とプロフィール、ミスター・ゴジラと言われた男の素顔について

中島 春雄画像プロフィールミスター・ゴジラと言われた男の素顔について書いて見ました。中島 春雄さんは当初は俳優でしたが、途中からは特撮映画のキャラクターとして初代ゴジラを演じるなど数多くの怪獣を演じる人として世界中にファンがいる有名なスーツアクターの一人です。

 

初代ゴジラをはじめ、昭和の怪獣たちに生命の息吹を与えたスーツアクターのレジェンド!!

 

中島 春雄のプロフィール

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名前:中島 春雄(なかじま はるお)

生年月日 :1929年1月1日(88歳)

※2017年8月死亡(88歳)

出生地 :山形県酒田市

身長 168cm

体重:-

職業 :スーツアクター・スタントマン・元俳優、

ジャンル( 劇映画):特撮映画・時代劇・現代劇・トーキー・テレビ映画

活動期間: 1947年(昭和22年)18歳~ 1973年(昭和48年)44歳

 

経歴


山形県酒田市で生まれた中島さんの実家は肉屋で、五人兄弟の三男。水泳・素潜りが得意で、ゴジラ役ではこれが大いに生かされます。

1943年(昭和18年)、14歳。飛行機乗りになりたくて、山本五十六が設置した、日本海軍航空機に関する設計・実験、研究・調査・等を担当する機関である、海軍航空技術廠(かいぐんこうくうぎじゅつしょう)に入り養成員(予科錬)となりますが、16歳の時に終戦、青森県三沢市にあるアメリカ軍の物資輸送トラックの運転手となります。

その後アメリカ軍の仕が横浜に移ったため青森をでて横浜へ移住。18歳の時に「映画俳優学校」という新聞広告を見て俳優養成所に応募、東宝や新東宝などの映画撮影所に出入りするようになり、1950年(昭和25年)、21歳の時、俳優学校の講師からの誘いで東宝に入社、同期生には大俳優である「丹波哲郎」さんや「高倉みゆき」さん、またスーツアクターとして有名な「広瀬正一」さんらがいましたが当時はあまり役は回ってこなかったと言いますがめげずに続けた3年後に転機がやってきます。

1953年(昭和28年)、24歳の折に日本の戦争映画、ミッドウェー海戦での『太平洋の鷲』で出演したゼロ戦のパイロット役で、日本で初めて全身に火をつけてのファイヤースタントを演じます。当時の日本映画には、スタントマンという職業はまだなく、誰もやったことがなかった全身火だるまになる演技を自ら演じたことに監督が大絶賛『必ず君を覚えている!』といわれ、このことがキッカケとなり、1954年(昭和29年)、まだまだ無名だった25歳の時に日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』で、主役のゴジラにスーツアクター(ぬいぐるみ役者)として大抜擢されることとなります。以後18年間にわたり、ゴジラシリーズでゴジラを演じ「ゴジラ俳優」、アメリカ「ミスターゴジラ」として有名になります。

 

1作目から12作に渡りゴジラを演じる

1作目から12作に渡りゴジラを演じた中島さんですが、日本初である特殊撮影の怪獣(ゴジラ)の演技はそれまで誰もやったことがなく数々の努力がありました。

人間の約50倍もあるゴジラの動きをリアルなまでに動を生み出そうと、動物園に朝から晩まで行通いつめ、徹底的に研究、努力を重ねます。チンパンジーやサルはあまり参考にならず、像やカバ、キリンなど大型でユッタリ動く動物が大いに参考なったと言います。

またゴジラのスーツは100kgもあり、それを着て照明が当たると中は蒸し風呂、さらに動くと汗が噴出します。また、水中での撮影は朝から晩まで続き過酷な撮影だったようですが、しかし体調を崩して休む(ダウン)ようなことは12作品中1度ありませんでした。それは海軍で鍛えられた、一度自分がやりだしたことに「亡き」や「ごめんなさい」といった甘えは許されないと言うプロとしての魂がそうさせたのだと言います。またそうすることが映画を見る人にも満足してもらえ、それが自分の満足につながると中島さんはいいます。

 

中島春雄さんが演じたゴジラ全作品

1ゴジラ:1954年11月3日(25歳)

 

2:ゴジラの逆襲:1955年4月24日(26歳)

 

3:キングコング対ゴジラ:1962年8月11日(33歳)

 

4:モスラ対ゴジラ:1964年4月29日(35歳)

 

5:三大怪獣地球最大の決戦:1964年12月20日(35歳)

 

6:怪獣大戦争:1965年12月19日(36歳)

 

7:ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘:1966年12月17日(37歳)

 

8:怪獣島の決戦 ゴジラの息子:1967年12月16日(38歳)

 

9:怪獣総進撃:1968年8月1日(39歳)

 

10:ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃:1969年12月20日(39歳)

 

11:ゴジラ対ヘドラ:1971年7月24日(42歳)

 

12:地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン:1972年3月12日(43歳)

 

1971年(昭和46年)、42歳の時、東宝から専属契約解除を言い渡され、東宝撮影所脇の東宝経営のボウリング場に勤務しますが、特撮スタッフから「どうしても、中島さんじゃないとダメなんです・・・」の願いを受けて1972年3月12日、43歳の時『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』で最後のゴジラを演じスーツアクターを引退しました。

その後は、東宝経営の麻雀店の店長や、東宝共栄企業や東宝日曜大工センターで勤務するかたわら、アメリカでは「ミスター・ゴジラ」として講演会やイベントなどに招かれたりすることもあり、2011年(平成23年)82歳の時、アメリカ合衆国ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞、また2012年(平成24年)11月、83歳の時には、出身地である山形県酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞します。

 

中島 春雄インタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=I7xr3iivWP0

中島 春雄(海外メディア特集)

https://www.youtube.com/watch?v=_oBNEG8kLfQ&feature=youtu.be

 

まとめ

ゴジラ俳優としての知名度は日本より世界的で有名で、特に海外では「ミスター・ゴジラ」との愛称で親しまれ、主にアメリカのファンが多く、ゴジラや怪獣イベントなどでの講演依頼は引きも切らず行われていました。中島さんの演技がなければ、今のゴジラは存在しなかったといいます。

時代が移り変わり平成にも影響を残した昭和が生んだ名スーツアクアー、「ミスター・ゴジラ」。中島さん本当にありがとうございました。そしてご冥福を心からお祈りいたします。