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増田誓志の画像と経歴、エスパルスへ移籍の元日本代表は即戦力で活躍できるか?

増田誓志画像経歴エスパルス移籍の元日本代Fは即戦力で活躍できるか?について書いて見ました。増田誓志選手は2013年から韓国・Kリーグの蔚山現代(ウルサンヒョンデ)FCで活躍、今年1月にはアラブ首長国連邦(UAE)のサッカークラブ「アル・シャールジャSCC」へ移籍していましたが7月で契約を解除しておりJリーグへ復帰、清水エスパルスでプレーする事になるようです。

 

外国人選手かと思わせる身体能力‼その強さと上手さは正に即戦力として期待!

 

田誓志のプロフィール

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名前:増田誓志(ますだ ちかし)

生年月日 :1985年6月19日(32歳)

国籍:日本

出身地: 宮崎県宮崎市

身長: 179cm

体重 :75kg

<選手情報>

基本ポジション :ミッドフィールダー

利き足: 右足

<所属クラブと成績>

2004年~2012年 :鹿島アントラーズ /155試合出場/ 12得点

 

2010年(1年間) :モンテディオ山形 (期限付き移籍)/26試合出場/ 1得点

 

2013年~2016年: 韓国Kリーグ蔚山現代 (ウルサンヒョンデ)98試合出場/ 7得点

 

2014年 (1年間):大宮アルディージャ(期限付き移籍)/19試合出場/ 1得点

 

2017年1月:アラブ首長国連邦(UAE)のアラビアン・ガルフ・リーグ「アル・シャールジャSCC」へ移籍するも7月で契約解除し日本のJリーグへ復帰。

アラビアン・ガルフ・リーグはアラブ首長国連邦(UAE)プロサッカーにおいて最上位のリーグで、日本でいえば、J1・J2・J3あるリーグのうちのJ1リーグに値します。

 

選手としてのスタイル

増田誓志(ますだ ちかし)選手は、身体能力に非常に優れており、接触プレーでは絶対に負けず相手選手をいとも簡単に、しかも見事なまでに吹っ飛ばすことができる外国人選手並みの強い肉体と、攻撃から守備まで、敵陣、見方陣を含めた全域をフルにカバーできる素晴らしいスタミナを持っており、またボールコントロールにおいても正確なロングボールや短いパスなども出すことができる、トータル的に活躍できるミッドフィールダーとしてチームメイトから厚い信頼を集めています。

 

 

日本代表

日本代表としては。2004年の北京オリンピックに向けた日本代表選考会予選で主力選手として活動していましたが、本大会のレギュラーメンバーへの登録には選出されませんでした。

2011年7月28日には、札幌で8月1日~8月3日に行われる本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初選出されています。

2012年2月24日、キリンチャレンジカップ・アイスランド戦で日本代表として初出場を果たしました。

 

まとめ

今年8月から日本でプレーする増田誓志選手、鹿島アントラーズ時代である21歳の時相手選手からは、″非常に身体が強くて、しかも身体の使い方が絶妙に上手い。一瞬外国人選手か?と思ってみたら増田選手だった・・・″と評価されていましたが、あれから10年った現在、果たしてどんなプレーを見せてくれるのでしょうか?
増田選手に清水エスパルスファンの期待が集まります。

 

ジャスティン・ガトリンの経歴に驚愕、ドーピングから35歳で世界一に返り咲いた男の素顔とは?

ジャスティン・ガトリンの経歴に驚愕、ドーピングから35歳で世界一に返り咲いた男の素顔とは?について書いて見ました。イギリスのロンドンで行われている世界陸上選手権大会第2日に男子100メートル決勝が日本時間の8月6日の早朝行われ、今大会で引退を表明し、単独最多の4度目の優勝に期待がかかっていた世界記録保持者、ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)を、試合前のブーイングを物ともせずアメリカのジャスティン・ガトリン選手が破り優勝、実に2005年以来12年ぶりに最速、世界一の座を奪回しました。

 

遂にボルトを破る!ライバルにようやく勝ったガトリン! 引退する30歳とチャンピオンに復活した35歳!

 

ジャスティン・ガトリンのプロフィール

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生年月日: 1982年2月10日 (35歳)

生まれ: アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク ブルックリン区

身長: 185 cm

体重: 83 kg

両親: ジャネット・ガットリン、 ウィリー・ガットリン

子供: ジェイス・ガットリン

自己ベスト

100メートル/9秒74(2015年)

200メートリ/19秒57(2015年)

 

不屈の精神

ジャスティン・ガトリン選手は、2004年のアテネ・オリンピック、100メートルで金メダル、200メートルで銅メダル、次いで2005年の世界陸上ヘルシンキ大会では100メートル、200メートルともに金メダルを獲得し、誰もが認める世界最速と言われていたベテランの短距離選手でした。その時の彼は男子100メートル、200メートルの二冠王、当時の世界記録を塗り替えていき、まさに選手として最高に伸びる時期でもありながら、その後まさかの2回のドーピングが発覚、長期の出場停止処分を受けることとなり、絶頂だった陸上の表舞台から消えることになりました。2006年のことです。

その後は、自身の母校である高校で陸上部のコーチをしていまいした。そしてその時期、陸上の世界への復帰はほぼ絶望と考えてなのか、アメリカのプロアメリカンフットボールリーグ(NFL)の入団テストを受けにも行っています。また一時期は日本のバラエティ番組にも呼ばれて、扇風機で強烈な追い風を作って「ボルトの世界記録を更新する!」企画で、ベンジョンソン的な役割をしていました。

2005年にジャスティン・ガトリン選手が表舞台を去った後、時代は代わり陸上の表舞台にはパウエル選手、ゲイ選手、ボルト選手といった次世代のランナーが世界最速を競う時代へと突入して行きます。

 

 

30歳ピーク過ぎても衰えない肉体

2006年から2014年までだった出場停止処分は4年に短縮され2010年7月に解除され現役に復帰、表舞台に帰りますが、世界の陸上界はウサイン・ボルトの時代へと変わっていました。このときガトリン選手は28歳。ピークを過ぎた年齢と4年間のブランクは世界最速への再起は不可能だろう言われていましたが、しかしガトリン選手はそのその予想を見事に跳ね返し、この後不屈の闘士で驚異的な復活を見せて行くことになります。

 

・2010年8月3日、エストニアでの小規模な陸上の国際大会に100メートルに出場し現役に復帰、10秒24で優勝を果たします。

 

・2012年6月24日、全米オリンピックトライアルの100メートルに出場、9秒80で優勝し、男子100メートルのオリンピッアメリカ代表権を獲得。

 

・2012年8月5日、ロンドンオリンピック男子100メートル決勝において9秒79で銅メダルを獲得。30歳で自己新記録を更新します。

 

・2013年8月11日、世界陸上モスクワ大会、男子100メートル決勝は9秒85で銀メダルを獲得。実に8年ぶりに世界選手権のメダル獲得します。 

 

・2014年5月31日、ダイヤモンドリーグ・ユージーン大会男子100メートルで9秒76(+2.7)を記録し優勝。

 

・2014年9月5日に行われたダイアモンドリーグにおける男子100メートル決勝は9秒77を記録し優勝。こちらも自己ベストをマークします。

 

・2015年5月15日に行われたカタールスーパーグランプリ男子100メートル決勝では9秒74を記録し、ここでも33歳にしてまたしても自己新記録を更新、驚異的な快進撃をみせつけ打倒ボルト向かって着実に成果を出して行きます。

 

まとめ

2017年8月6日いよいよその瞬間が訪れました。世界陸上男子100メートル決勝で宿敵ウサイン・ボルト選手を破り堂々の世界一に返り咲いたガトリン選手。出場停止処分から実に11年ぶりに夢をかなえたその素晴らしい不屈の精神と努力はやはり只者ではありません。素晴らしい選手であると言えます。更なる進化が期待されるガトリン選手です。