あなたが知りたい、いろんなジャンルのプロフィール

いろんなジャンルのプロフィールや情報などを紹介しています。

スパイサー米大統領報道官の画像と経歴、前代未聞の失言で墓穴を掘った男の素顔とは?

スパイサー米大統領報道官画像と経歴、前代未聞の失言で墓穴を掘った男の素顔とは?について書いてみました。スパイサー氏は、ドナルド・トランプ政権で、アメリカ国内や世界中で起こる出来事に関するタイムリーな情報の収集や大統領の予定や面会、また呼び出したり対話を行った人物、その日のニュースに関する政府の公式見解の発表などメディアへの対応を行うホワイトハウス報道官、ホワイトハウスの広報部長代行を務める人です。

 

メディアと正面から激しく戦うことを託された存在が、ヒトラー発言で墓穴を掘る

 

スパイサー米大統領報道官のプロフィール

「スパイサー米大統領報道官画像」の画像検索結果

本名:ショーン・マイケル・スパイサー
生年月日:1971年9月23日(45歳)
出身地:アメリカ合衆国、ロードアイランド州バーリントン
政党 :共和党

学歴: 

・コネチカット・カレッジ (学士)

※アメリカ、コネチカット州ストアーズに位置する州立総合大学

・海軍大学校 (修士)

<家族>
配偶者 :レベッカ・クレア・ミラー (2004年~)
子供 2人

 

経歴

スパイサー氏は、アメリカ合衆国東北部に位置し、全50州のうち最小面積の都市ローアイランド州バーリントンの生まれで、アイルランド系移民である両親の父親は保険外交員、母親は、イギリス植民地時代(1764年)に設立された研究私立大学ブラウン大学東アジア地域研究学部の学部長をしていました。

大学生の頃からボランティア活動に対しとても熱心だったスパイサー氏は1990年代後半共和党の連邦下院議員のもとで働き始めそして1999年(平成11年)、現在でも海軍中佐の肩書きを持つ彼は28歳の時にアメリカ海軍予備隊に広報担当将校として入隊します。

 

2000年(平成12年)29歳の時にホワイトハウス改革委員会の広報部長を務め、2003年から2005年まで下院予算委員会広報部長兼スポークスマン、その後は連邦下院共和党会議広報部長を経て、2006年(平成18年)35歳の時、ジョージ・W・ブッシュ政権のメディア・広報担当通商代表補佐官に就任します。

 

2009年(平成21年)38歳の時には、アメリカ政府と経済的な関係を持つ外国の政府や企業を代表する広告の代理店であるエンデバー・グローバル・ストラテジーの共同経営者もしていました。この会社はコロンビアの代理人として、人権問題との関連で批判もあるアメリカとの自由貿易協定を推し進めています。

 

2011年(平成23年)2月、40歳の時共和党全国委員会の広報部長となり、広報部長在職中はソーシャルメディアの活用を積極化、自前のテレビ番組制作班を組織し、またメディア等からの攻撃に対処する迅速対応計画を策定しています。

 

2015年(平成27年)2月、44歳の時には、共和党の首席戦略官を兼務します。


広報部長時代のスパイサー氏は、当時のドナルド・トランプ候補にとても批判的で、トランプが「メキシコからの不法移民が犯罪に関与している」と主張した際には「メキシコ系アメリカ人をひとくくりに論じることは、おそらく問題の解決には役立たないと思う」と発言。2015年7月には「立派に職責を果たしてきた人々を軽んじるコメントをするような人物のための場所は、わが党またはわが国にはない」と、これもまたトランプ氏を批判していました。

2016年(平成28年)12月22日、45歳でトランプ政権のホワイトハウス報道官に任命され、12月24日には、ホワイトハウスの広報部長に内定していたジェイソン・ミラーが辞退したことを受けて、その後任にも指名されこのふたつの大役に就任します。

 

驚愕のヒトラー発言で墓穴を掘る

2017年4月11日、負けん気が強く、このところ失策続きのショーン・スパイサー報道官は、アメリカホワイトハウスで定例会見を開いていた時に、シリアのアサド政権による化学兵器の使用について強く非難しようとするあまり、 「ヒトラーのような卑劣な人間でも、化学兵器を使用するほどひどいことはしなかった」こう発言しています。

その12分後、近くにいたいた女性記者が、アドルフ・ヒトラーについての発言がツイッター上で話題になっているから、発言の真意を聞きたいとスパイサー氏に告げます。

しかし、なんとか取りつくろうとしたスパイサー氏は、ヒトラーは「自国民に対してガスを使用したわけではない」という事実に反する言い訳をしたばかりか、強制収容所のことを「ホロコーストセンター」と呼んでしまい、センターというその表現は事実と違い軽るすぎると、さらに墓穴を掘ってしまいます。そしてそれ以降の24時間、トランプ政権がメディアで叩かれるのは避けられない事実でした。翌日の4月12日、スパイサー氏は「比較などするべきではなかった」という懺悔の言葉を述べますがそれは彼がワシントンで積み上げてきたキャリアにおいてどん底の瞬間、ガッシリと立派な体格の45歳のスパイサー氏はガックリと型を落とすのです。

 

 

まとめ

トランプ政権のスポークスマンとしてメディアと全面的に戦ってきたスパイサー報道官の辞任。まだまだ波紋が広がりそうです。

 

リンキンパーク・ボーカル、チェスター・ベニントンの生い立ちと驚愕の過去について

リンキンパークボーカルチェスター・ベニントンの生い立ちと驚愕の過去について書いてみました。リンキンパークは、時代の流れに捕われない普遍的、また時代の先を行く前衛的でアンダーグラウンド的な精神を持つ音楽観が有名で、2017年11月には日本への来日公演を行う予定になっているアメリカの大人気ロックバンドです

 

ギター、ベース、ドラムにDJというバンド編成で「ヘヴィだが聴きやすい、ラップなどを取り入れたグルーヴィなビート&サウンドが特徴!」で、これまでのロックのスタイルを遥かに超えたニュースタイルのヘヴィメタロックバンド!

 

リンキン・パーク(Linkin Park)

「リンキン・パーク画像」の画像検索結果

結成:1996年(平成8年)

<メンバー>

チェスター・ベニントン:ヴォーカル ·(1999年から)

マイク・シノダ:ピアノ ·(1996年から)

ジョー・ハーン:ターンテーブル · (1996年から)

ロブ・ボードン:ドラムセット ·(1996年から)

ブラッド・デルソン:エレクトリックベース ·(1996年から)

マーク・ウェイクフィールド:ォーカル · (1996年~1999年)

デイヴ・ファーレル:エレクトリックベース

プシャ・T:

カイル・クリストナー:(1999年~1999年)

スコット・コジオル:(2000年~2001年)

 

今でこそニュータイプのへヴィメタサウンドとして若者を中心に絶大な支持をうけ世界中にツアーコンサートを行うまでになったリンキン・パークですが、結成当初(1996年頃)は、全メンバーがバンド活動のほか、仕事や学業の両立をこなしていかなければならずそうとう苦労していた所に、肝心のバンド活動は一向に上向かず、ライヴでの客入りもパッとせず毎回寂しいライヴでした。また音楽会社との契約も42社ものレーベルを訪れながら、一向に契約を結べず苦労の連続だったのですが、最終的にワーナーと契約を結びます。現在のバンド名「リンキンパーク」はヴォーカル担当のチェスター・ベニントンが定期的に車で通りかかっていたサンタモニカの公園の名前に因み、「LINCOLN PARK(リンコロンパーク)」というバンド名への改名を提案しますがインターネットのドメイン名が既におさえられていたためにあきらめ、最終的に「LINCOLN PARK(リンコロンパーク)」と同じ発音である「LINKIN PARK(リンキンパーク)」というバンド名になりました。

 

チェスター・ベニントン(ヴォーカル)のプロフィール

「チェスター・ベニントン画像」の画像検索結果

生年月日: 1976年3月20日
生まれ: アメリカ合衆国 アリゾナ州 フェニックス
死亡: 2017年7月20日(41歳)
身長: 178 cm
配偶者:

サマンサ・マリエ・オリット (1996年~2005年)

タリンダ・アン・ベントレー(2005年~)
子供:

リラ・ベニントン、

タイラー・リー・ベニントン、

アイザイア・ベニントン、

ハイメ・ベニントン、

リリー・ベニントン、

ドレーヴン、セバスチャン・ベニントン

 

アメリカの大人気モンスターバンド「リンキン・パーク」のヴォーカルであるチェスター・ベニントンさんは、アメリカのアリゾナ州フェニックスで生まれました。小さい頃から音楽が好きで、イギリスの音楽グループ「デペッシュ・モード」やアメリカ合衆国サンディエゴ出身のロックバンド「ストーン・テンプル・パイロッツ」の影響を受けて育ちます。

両親は1980年代後半、彼が中学生になる頃に離婚。その後はコカインやメタンフェタミンなどの精神依存と精神病状態を依存する薬物などに溺れていきます。しかしプロのミュージシャンになることが夢だった彼は途中から薬物を拒否、ハンバーガーで有名なチェーン店バーガーキング等でアルバイトをしながらプロのミュージシャンを目指し薬物中毒を克服、インタビューでも薬物の使用を非難しそれらのチャリティーにも貢献していきました。

バンドは2000年(平成12年)代のはじめ頃から驚異的な成功を収めていくのですが、しかしヴォーカルのベニントン自身は多くの問題を抱えていました。

彼は元々病弱で、2001年のロック・フェスティバルの最中に毒糸グモに腕を噛まれ腕がしびれ演奏に支障をきたしたり、2枚目のアルバムの製作中にも健康に悩まされ2003年夏には病気で倒れました。2007年10月にはメルボルンでのコンサートで舞台に飛び乗ろうとした時に手首に怪我を負いますが、演奏を続け、終了後すぐに救急救命室に運び込まれるなど不運が続きます。

またチェスター・ベニントンさんはかつて自分が「重症で手のつけられないアル中だった」と明かしており、今では酒を一切断っていることを説明しています。

禁酒についてチェスターさんは「ぼくはもう酒は飲まないんだ。今はもうしらふでいたいんだよね。過去6年の間、ずっと飲んできたけど、もうその頃と同じ人にはなりたくないんだよ」と雑誌のインタビューに答えています。

さらに彼は自身が7歳の時に受けた性的虐待についても触れており、近所に住んでいた年上の友人から受けた性的虐待について「ぼくが本当にまだ小さかった頃、虐待を受けていて、自分の回りでおぞましいことがいろいろ起きていた頃のことを思い出すと、身体が震えだすんだ」と語っています。

 

 

まとめ

2017年7月20日に亡くなった世界的ロックバンド、リンキンパークのボーカル、チェスター・ベニントンさんにいったい何があったのか?それはまだなぞのままですがいずれ理由が分かるかと思います。